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院長の日々の雑感をのんびりと書いています           
平成18年12月24日の第1回より皆様からのほのぼのとした話題提供をお待ちしています   
過去ログはブログ”ならまちさくら”をご覧ください

ならまちさくら第590回〜

第590回 体重

 最近、メタボの私がレセプトをしながらの早朝に珍しく待合室に置いている体重計に乗ってみようと思い立ち、勇気を振り絞って計測しました。結果は開院時より3Kg以上の減でした。

 これはいつも夕食に野菜料理をふんだんに作ってくださるお義母様のお蔭か、はたまた高脂血症なのでしっかりと内服治療して、せいぜい間食を止めているせいか、歳をとったせいで食事量が減ったか、味覚が鈍磨して食に対する興味がなくなっってきたか・・・そしてひょっとして何かの病気か・・・。

 仕事が忙しのも一因でしょうか。、9月30日夜にはレセプトをまとめ、翌日には以前働いていた病院の医事課長さんに疑問点を質問して診療し、10月2日は診療して、介護認定審査会から往診、自分の歯の治療、夕方診療して夜は奈良市応急診療所の出務で朝6時まで働き、3日は診療して午後には研究会・・・。
まあちょっと頭も身体も動かし詰めの4日間です。9月30日の夜長距離を運転しているときは眠たくてしかたなかったですが、舞鶴での10日1日の診療中は頭が非常にハイになって、ものすごく回転が速く、頭脳明晰になったような錯覚を覚えました。例えば、5桁のカルテ番号などはするする頭に入り、電子カルテへの入力もとてもスムースでした。
 
 ま、体重がなくならないうちに健診を今年は受けておきたいと思います。(2009年10月13日)

第591回 中秋の名月 その2

 「前にもこの“ならまちさくら”第142から147回で書いたように」と言ってももう2年も前の2007年9月のことですが、中秋の名月の日に猿沢池で采女祭が行われます。三条通りには采女祭を知らせる提灯が上がり、お祭りの雰囲気を盛り上げていました。

今年の中秋の名月は10月3日で、采女祭は雨の中開催されたと思います(当日土曜日は勉強会で早々に奈良から離れていて見ていないのです)。夜には猿沢池に龍と鳳凰の形をした龍頭船が浮かべられて、今年お月さまはなかったけ〜ど、本来なら名月を眺めながら池を2周回ります。船には稚児や十二単衣の花扇使がの乗って、松明の明かり(今年はなかったかな)の幻想的な雰囲気の中、花扇が猿沢の池に流されたと思います。最後にはその花扇は引き上げられ観衆に配られるのだそうです。

来年以降5年の中秋の名月(采女祭)は平成22年9月22日、平成23年9月12日、平成24年9月30日、平成25年9月19日です。特に来年の9月22日は水曜日ですが翌日の23日がお休みのためゆっくり見たいと思います(もう来年の話してる)。

中秋の名月(その1)は“ならまちさくら”第153回(2007年10月6日)で、今回をその2としました。写真はご厚意でいただいた平成21年10月4日のお月さまです。とてもいいお月見ができました〜1日ずれてたけど気にしない、気にしない。(2009年10月14日)
 

第592回 飛火野

 春日大社参道の南側、浮身堂の東側の道を挟んでさらに東側に飛火野という大きな原っぱがあります。なんでこの地が飛火野と呼ばれるのか?おおよそ火や火事には縁がなさそうで、古代大火事が起こったときの避難所にでもなりそうなこの場所。大勢の人たちがバドミントンやキャッチボールを一斉に始めても受け入れるキャパシティーが十分にあります。ゆっくり私に暇があれば一日中寝っころがって本でも読んでいたいような場所です。
 
 この飛火野の地名の由来は奈良市観光局ののホームページにもあまりはっきりと示されていないのですが、最近読んだ本に納得の行く説明がありました。それは・・・。

 664年のこと日本史に有名な事件の後、九州(対馬、壱岐、筑紫)に防人が配置されたのだそうです。防人のいるい各所に大宰府に急報するための烽(とぶひ=飛火=狼煙台)が置かれ、昼は煙を夜は炎を用いるとされました。

 1つの狼煙台には常時10人の東国からの防人が配置され、10日に1日の休日をとり、3年間の徴兵期間を過ごしました。玄界灘の沖に外国船が見えると、使節船の場合1回、敵と確認すると2回、200隻以上の大船団だと3回狼煙を上げることになっていました。

 この煙または火は大宰府から瀬戸内海岸をつぎつぎ伝わり、河内・大和境の高安山、生駒山を通って奈良の飛火野にいたり宮中へ報告されたのです。飛火野は平城京の外京であり火を扱っても宮城の中には影響なかったせいでしょうね。そうか〜そいでもってあんなに大きな空地があったんだー。奈良って興味深いところです。(2009年10月16日)
 

第593回 映画「生きる」

 10月9日は黒澤監督の映画「生きる」が公開された日です。京都府立医科大学というところは変わったところで・・・(と私は思っていました)。哲学の授業でこの映画「生きる」の話だけで講義1コマ(100分)を熱く語り尽くした教授がおられました(Y教授)。Y先生はまるでブランコに乗るようなしぐさで渡辺勘治市役所課長(志村喬が好演)の歌った「ゴンドラの唄」を授業で歌われました。

 のちにレンタルビデオで借りて見たこの映画は、白黒映画でしたが光と影の使い方がみごとで、ストーリーのすばらしさを際立たせていました。何気ない毎日の中で「生きる」ことは何かを教えてくれた映画、Y先生には今でも感謝しています。

 人から「先生は生き急いでいませんか。」と言われることがあります。「生きる」のストーリーのように、日常の中に主人公が造った“公園”のような希望を造り続けたいな・・・と私も変わり者で思うのでした。そのためには少し生き急いでいるかもしれません。子供たちに伝えたい映画です。(2009年10月18日)
 

第594回 奈良人の気質

 江戸時代というのは、一般に時代が下るにつれて年貢が重くなったといいます。江戸初期はほぼ四公六民で、獲高の六割が農民のものになりました。天災の少ない土地なら農民に半分残されれば多少の蓄財ができたようですが、時代が下るにつれ諸藩とも藩財政の維持ができなくなり、農民を搾るしかなく、六公四民が普通になり、紀州徳川領などは八公二民という苛烈な重税を課したそうです。紀州人が紀州徳川家を懐かしまない理由はここにある?お大名の領民の方々は大変だったのですね。

 その点奈良はほとんどが天領で、江戸期を通して年貢は四公六民。天領気質というものが存在したようで、大分県の日田、岡山県倉敷、奈良がその代表とされるのだそうです。

 その天領気質とは、穏やかで、慌てず、騒がずととてもいい気質らしく、奈良で開業している寺崎クリニック院長としては、良い人々とお付き合いができて嬉しい限りなのです。(2009年10月20日)