胃がん撲滅を目指して
1982年、オーストラリアの2名の医師(ウォーレン、マーシャル)によってヘリコバクター・ピロリ菌が発見されて30年、従来の胃の病気の常識は根底から覆されました。胃炎、胃・十二指腸潰瘍をはじめ、胃の病気の殆どがヘリコバクター・ピロリ菌によることが判明し、さらには胃がんの原因もピロリ菌によることが、基礎医学でも臨床医学でも次々と証明されています。ピロリ菌を除菌することが、胃がんの発生を抑え、予防にもなることがわかってきました。今や胃がん撲滅も夢ではない時代を迎えました。今回の「あすなろ」は胃がん撲滅のための具体策を提案します。
ピロリ菌と胃がん
ピロリ菌の持続感染が、慢性胃炎を進行させていく中で、胃がんを発生させることが多くの臨床的事実や動物実験から証明され、ピロリ菌が胃がんの原因であることが明らかになりました。さらに最近ピロリ菌が直接胃がんを発生させるという事実が日本の基礎医学者によって証明されました。ピロリ菌の産生する細菌由来がんたんぱく質(CagAたんぱく質)が胃の粘膜に浸入してがん化を起こすことを発見しました。さらに欧米型CagAと東アジア型CagA (日本、韓国、中国などに分布)には、遺伝子に違いがあり、東アジア型が胃がんを起こすことがわかりました(畠山昌則、東大大学院医学系研究科微生物学分野教授)。また大分大学の研究で、東アジア型CagAは、欧米型のそれに比して胃粘膜障害の程度も強く認められ、調べた胃がん全例が東アジアやCagAだったと報告されています。
基礎医学、臨床医学の両面で胃がんの原因がピロリ菌であることが証明されました。
感染症とがん
ウイルスや細菌が、がんの原因として証明されているがんがあります。B型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルスによる肝細胞がん、ヒトパピローマウイルスによる至急頸がん、そしてヘリコバクター・ピロリ菌による胃がんです
(表1)」。
感染経路は様々ですが、いずれも長期の感染(持読感染)によって細胞の遺伝子に異常を来たしてがんが発生することには変わりありません。
ピロリ菌感染率の変化
ピロリ菌は、日本の衛生状態の悪かっか昔(現在の60歳以上の方たちが子どもだった頃)に食物や水を介して感染したと考えられます。ピロリ菌は一度感染すると自然には排除されません。従って団塊の世代※と言われる方々のピロリ菌感染率は60%以上です。今の若い人のピロリ菌感染率は10%未満です。年々ピロリ菌感染率が減少していることがわかります
(図1)。日本の衛生状態は経済状態と密接に関連があり、団塊の世代を境に大きく変化しています。従って後に述べますが、胃がん撲滅対策も団塊の世代を境に大きく変える必要があります。

*団塊の世代:1947年〜1949年のベビーブーム時代に生まれた世代が、他の世代に比べて人数が特に多いのでこう呼ばれる(図3)。
胃がん撲滅対策
がんに対してその死亡を減らす対策に、一次予防と二次予防という2つの方法があります。一次予防とはがんの原因を究明して、その原因を排除することによりがんの発生を予防する方法です。成功するとそのがんの撲滅に大きく近づきます。がん予防にとって最も重要な方法です。二次予防はがんを早期に発見して、そのがんによる死亡率を減少させる試みです。
しかし二次予防だけではがんの撲滅は不可能です。胃がんについてみますと、今や胃がんの診|析・治療は格段に進歩して、早期胃がんの5年生存率は実に95%以上です。しかし二次予防だけでは死亡率は減らせても、胃がん撲滅という訳にはいきません。
ここにきて胃がんに関しては胃がんの原因も判明し、原因に対して何をすればいいのかもわかっています。そうです!胃がんの原因であるピロリ菌を退治(除菌)することです。
年齢によって異なる胃がん撲滅対策
ピロリ菌が胃がんの原因ならピロリ菌を除菌すれば事は解決!という訳ですが、現実はそう簡単にいきません。なぜなら胃がんが発生する背景には胃炎の程度が関係するからです。
ピロリ菌に感染すると必ず胃炎を起こし弓性胃炎になります。その後慢性胃炎から腸上皮化生性胃炎に進行して胃がんになります。この過程には長い年月を要します。一般的に言えば年齢が増せば増すほど胃炎は進行します。胃がん発生数は50歳代から急速に上昇し始め、80歳代まで上昇し続けます
(図2)。高齢者の割合が急激に高くなったわが国では、胃がんの発生数は自然に増加します。人口ピラミッド
(図3)をみれば明らかなように、ピロリ菌感染を放置しておけば、団塊の世代が80歳以上になる今後20年間は胃がんの死亡数も発症数もますます増加します。
若年者の胃がん対策
若年者の胃がん発症率はここ10年激減しています。若年者のピロリ菌感染率は5〜10%ですので、将来60歳を越えた年齢になっても胃がん発生はほとんど増加しません。50年後は胃がん多発国から、現在の欧米並みの低い胃がん発生率となっています。
従って若年者は例えば20歳になったら全員ピロリ菌感染の有無を検査して、陽性者はただちに除菌するようにすれば、ピロリ菌感染者を限りなくゼロにすることができます。
浅香正博教授(北海道大学大学院消化器内科教授)の推計によると、除菌によるがん予防効果は若年者ほど有効で、また女性のほうが男性よりがん予防効果が大です。理論的には男女とも30歳代までに除菌するとほぼ100%胃がん予防が可能です
(図4)。
若年者からピロリ菌感染者がいなくなればがん発生を限りなくゼロに近づけることができます。
最近のわが国の衛生状態では、水や食べ物を介してピロリ菌が感染する危険は殆どありません。子供たちがピロリ菌に感染する経路は、乳幼児期にピロリ菌陽性の親からの食べ物の口移しによると考えられています。その意味でも若い人たちが結婚する前、結婚して子どもが生まれる前にピロリ菌を除菌しておくことは新規感染の防止にもなります。
高齢者の胃がん対策
胃がんの発生率(罹患率)や死亡率は減少を続けています
(図5)が、高齢者人口の増加にともない、高齢者では年々胃がんの患者実数(罹患数)、死亡実数は増加し続けています
(図6)。
60歳以上の年代では除菌により胃がんの危険度は減りますが、抑制効果は不十分で特に男性では50%を割り込んでいます
(図4参照)。
60歳以上この年代になると胃炎の程度が進行しているため、ピロリ菌がいなくなっても胃粘膜の遺伝子の傷は元に戻らないため、発癌にブレーキをかけられないことがあるためです。
早期胃がんを内視鏡的に粘膜切除術した症例では、当然背景胃粘膜は進行した胃炎の状態ですので、放置すればまたがんが発生する場合(二次がん)が考えられます。
日本で行った早期胃がん胃粘膜切除痘1例544例を対象に、ピロリ菌を除菌した群としなかった群にわけて3年間観察して胃がんの発生率を調べた結果が、世界の超一流医学専門雑誌の「ランセット」に発表されました(2008年)。その結果は3年間の観察期間中に33例の2次がんを認め、除菌群で9例、非除菌群で24例と、明らかな有意差を認める内容
(図7)で世界で注目され、胃がん予防のためにピロリ菌の除菌が有用であることが、世界で認められました。進行した胃炎であっても除菌することによって、胃がんの発生を抑えることができることを証明しました。

すでにがんが潜在した状態で除菌してもがんは抑えられませんが、がんの発育を遅らせることがわりました。
2020年頃に団塊の世代が胃がん発生のピークを迎え、胃がん死亡が年間7万人(現在は約5万人)になると予想されています。団塊の世代が80歳以上になるまでは胃がんの死亡数や発症数は減少しません。従って除菌によるがん予防効果は落ちるにしても、このまま放置している訳にはいきません。
「あすなろ」93号「血液でわかる胃がん危険度」で述べましたように、胃粘膜の胃炎の程度を知るためにペプシノゲン検査と、ピロリ菌の感染の有無を知るためにピロリ抗体を血液で調べて、その組合せによって胃がん危険度を分ける「ABC検診」を受けましょう
(図8)。
現在のバリウムによる胃がん検診は40歳からになっていますが、上に述べましたように胃がんの発生が増えるのは50歳代からですので、ABC検診も50歳からでいいでしょう。40歳代以下はピロリ菌陽性なら即除菌です。
除菌に成功しても除菌前の胃炎の状態がC群、D群の人は、今後胃がん発生がゼロではありませんので、早期発見のために定期的に内視鏡検査を受けましょう(二次予防)!
稀ではありますが、除菌して10年以上経ってがんが見つかった方もいます。
要注意の胃炎
若い人の中に比較的稀ですが、内祝鏡検査であたかも皮膚に見られる鳥肌に似た胃粘膜を認めることがあります。胃粘膜に均一な結節状隆起が密集しており「鳥肌胃炎」と呼ばれます
(写真)。

全例ピロリ菌陽性で、20歳代、30歳代の女性に多く、胃の痛みや不快感を有することが多く、胃がんの合併率が高く(ピロリ菌陰性の人に比べると、胃がん危険率は64.2倍!是非除菌する必要があります。除菌すると鳥肌胃炎も消退します。若い人でも注意する必要のある胃炎です。
胃検診のバリウム検査は止めましょう
以上述べたことからおわかりのように、現在の40歳以上を対象としたバリウムによる胃がん検診(二次検診)は効率が悪いというか、あまり意味がないと言わざるを得ません。
実際バリウム検診の受診率は減少(20%以下)し、新しい人は余り受けず、同じ人が毎年受けるリピーターが多く、胃がん発見率も最近10年間全く変わっていません。当然被曝の問題もあります。
胃がんの原因がわかった今、検診のやり方の発想の転換が必要です。
バリウム検査は止めて、まずは血液検査(簡単、苦痛が少ない、安い、食事関係なし、被曝の心配なし、結果が客観的)で自分の胃がんリスクを知って、それに応じた対策を講じる時代になっています。
胃の症状があればともかく胃の内視鏡を受けましょう
胃の症状があれば、まず胃内視鏡検査を受けましょう!自分の胃の粘膜の状態(胃炎の有無、胃炎の程度)を知っておくことは、今後の胃がん対策上大変有効です。
最近は胃粘膜に萎縮が全くみられず(ピロリ菌陰性)、胃液の逆流による逆流性食道炎(胃食道逆流症)が若い方に増えています。胃がんの心配がなくても、胃酸の逆流によって食道粘膜が胃の粘膜に変化して、さらにがん化する例(食道がんの胃がんタイプ)が欧米では増えていますので、わが国でも将来そのような事態が発生することが想定されます。ともかく胃の症状があればやはり内視鏡検査を受けましょう。
発想の転換を!
わが国のピロリ菌に対する保険診療もずいぶん進歩してきました。2000年11月に胃・十二指腸潰瘍に対してピロリ・菌除菌が保険診療で認められて以来、2010年6月には胃マルトリンパ腫(悪性リンパ腫のひとつ)、特発性血小板減少性紫斑病、早期胃がんの内提鏡治療後に対しても保険治療が認められました。初めて限定つきとはいえ保険診療の場で、胃がん予防に除菌が認められたことは画期的なことです。
胃がん多発国「日本」、高齢化社会「日本」が、世界に向かって胃がん撲滅のためのプロジェクトを実行して、胃がん対策の見本を示してほしいものです。
国や自治体による対策が一日も早く実現されんことを願っています。しかし国が動くのを待っていて、胃がんになってしまっては元も子もありません。
まずは自分の胃の状態を知って、一人一人に上に述べた対策に従って行動を起こして頂きたいと思います。
参考文献
1.浅香正博著「胃の病気とピロリ菌」中公新書 2010年
2.浅香正博「わが国から胃癌撲滅を目指して」日本消化器病学会報誌 107巻 2010年
あすなろ「エッセー」のページに山本學さん(俳優)のエッセーを掲載しました。
今迄のエッセー一覧です。