円山ため小児科トップページへ

円山ため小児科からのお知らせ

円山ため小児科の医師のご紹介

円山ため小児科のご案内

円山ため小児科までの交通案内

「S君の事」
先日、U君から「3月下旬に、札幌に帰るので、いつものメンバーで軽く飲みましょう」との、連絡がありました。U君とは、琴似中学校柔道部から、40年以上の付き合いになります。彼は20歳で、仕事のため札幌を離れ、東京へ。もう、35年です。
近況報告、仕事の話、色々な話題が出ますが、最後にはどうしても柔道部時代の話になります。

当時の琴似中学は、琴似武道館で小学校から柔道を習ってきた経験者ばかりだったこともあり、市内でもトップの実力でした。私たちが中3の中体連では、団体戦は札幌市で優勝し、全道大会でもベスト8まで勝ち上がりました。
団体メンバーは、U君と私、軽量級のK君、中量級のO君、そして重量級のエースのS君でした。K君、S君と私がポイントゲッターで、4勝1分か3勝2分くらいで、勝利していました。

実は入学時、S君は違う中学でしたが、柔道部が強い学校で大会に出たいとの事で、転校してきました。考え方がしっかりしていて、当時から将来は柔道を生かして進学、就職したい希望を持っていました。
S君は172センチ、90キロの骨格がしっかりした体格でしたから、当時の中学生としては別格でした。得意技は、大外刈り。太い手で上体を引き付け、一気に体重を預けます。重さと粘りで、相手を倒すタイプでした。性格は実直な努力家で、後輩たちにも慕われていました。
中学卒業後、柔道の活躍が認められ、特待生で「札幌第一高校」に進学しました。高校での活躍は、残念ながら国体出場止まり。全国区の選手には、なれませんでした。東京の大学や、警察官の進路も進められたようですが、高校卒業後は札幌の一般企業に就職しました。同時に柔道も辞めたようです。

S君と最後に会ったのは、たしか20年位前と記憶しています。共通の知人の結婚式でした。近況報告では、高校卒業後に就職した会社を辞め、高校時代の先輩の仕事を手伝っているという事でした。
S君、K君、私の三人で二次会へ。S君のお気に入りの店で、おごってもらったような記憶がありますが、定かではありません。少し丸みを帯びたものの、相変わらずの迫力の容貌で、ススキノの街を闊歩していました。
S君は先月実家を離れて、アパートを借りたとの事でしたので、連絡先を教えてもらい、別れました。

2か月後、K君から連絡がありました。飲みに誘おうと思って、S君に電話をしたが、通じない。自宅を訪ねても引っ越した後。居場所を知らないかとの、問い合わせです。
私も心配になり、共通の友人たちに連絡をし、S君を探してみました。色々と手を尽くしましたが、誰も行方を知りません。以前連れて行かれた、彼馴染のススキノの店にも行ってみましたが、この一月は顔を出していないとの事。実家に連絡をしようと思いましたが、引っ越した後。

消息不明になってから、20年。誰も連絡が取れません。どこかでたくましく、やっているとは思っていますが・・・・。当時の仲間はS君と再会したいと、ずっと思い続けています。
多感な中学3年間、週5回の厳しい練習に耐え、一緒に試合で戦い、時にはふざけ合った仲間です。
またいつか、みんなで酒を飲み、昔話がしたいです。
S君の名前は「斉藤 英人 さいとう ひでと」。私たちは親しみを込めて、「エイジン」と呼んでいました。
「子供のワクチン」
 子供を重い感染症からまもる一つの方法が、ワクチン接種です。今回は子供が受けなければならない、“ワクチン”に関して、よく質問される内容を中心にして、分かりやすく説明したいと思います。

「ワクチンは、どうして感染症を防ぐことができるのですか?」

ワクチンとは、病気の原因になる細菌やウイルスを、弱めたりした物や、その一部の成分を体に接種し、その結果体内で作られる“抗体”により、感染症に罹りにくくするものです。また、感染した場合でも、症状は軽く済みます。ただ、自然に感染した場合よりも、抗体の作られる量は少ないため、数回の接種が必要な場合もあります。

「ワクチンは、いつから接種できるのですか?」

札幌市小児科医会では、“生後2か月は、ワクチンデビュー!”のポスターを掲示して、早期接種を呼び掛けています。ヒブ(インフルエンザ菌b型)・肺炎球菌・B型肝炎・ロタウイルスワクチンは、生後2か月から接種できます。かかりつけの小児科にて、接種して下さい。その際、今後のワクチンスケジュールも相談すると、良いと思います。

「定期接種ワクチンとは、どんなワクチンですか?」

“定期接種ワクチン”には、ヒブ・肺炎球菌・4種混合・2種混合・BCG・MR(麻疹+風疹)・麻疹・風疹・水痘・日本脳炎・子宮頸がん、があります。これらのワクチンは、原則として決められた期間に接種する場合は、公費(自己負担なし)で受けることができます。北海道でも、今年の4月から、日本脳炎ワクチンが、自己負担なしで接種できるようになります。
 その他のワクチンは、“任意接種ワクチン”です。料金は自己負担になりますが、できる限り接種する事をお勧めします。

「同時接種は、必要ですか?」

同時接種とは、複数のワクチンを、同時に接種する事を言います。例えば、ヒブ+肺炎球菌・ヒブ+肺炎球菌+4種混合+ロタ、などの組み合わせです。
 1回の接種で複数のワクチンを接種しますので、単独接種の場合よりも、短期間にワクチンスケジュールが終了できます。また、医療機関を受診する回数も減ります。諸外国では、スタンダードな接種方法です。同時接種により、副反応が増える事はありません。また、組み合わせていけないワクチンは、ありません。

「多少の鼻水、咳でしたら、接種できますか?」

明らかな発熱(37.5度以上)がなく、全身状態が良好である場合は、接種可能です。この場合、ワクチンの効果が弱まったり、副反応が出やすくなったりする事はありません。薬を飲んでいる場合でも、接種する事もありますが、主治医の先生とよく相談して下さい。

「ワクチンを接種した後、お風呂に入っても構いませんか?」

接種後1時間以上経っていれば、お風呂に入る事も、大丈夫です。ただ、接種したところは、こすらないでください。

「ワクチン接種後の、運動しても構いませんか?」

軽い運動は構いませんが、激しい運動は避けてください。具体的には、散歩や公園での短時間の外遊びは構いませんが、当日のスイミングスクール、サッカースクールなどや、スポーツ部活動は避けてください。

「なぜインフルエンザワクチンは、毎年接種するのですか?」

インフルエンザワクチンの効果は、3〜4か月程度です。なので、春になると効果はなくなってしまいます。また、毎年ワクチンに使われる株が変わりますので、毎年の接種が必要になります。

「卵アレルギーと診断されていますが、インフルエンザワクチンの接種は、可能ですか?」

現在はワクチンの精製技術も進み、アレルギー反応を起こす可能性は、ほとんどありません。重症の場合は、皮内テストを行ってから、接種する場合もありますので、主治医にご相談ください。

「はしか(麻疹)のお話し」
“はしか”は、現在でも特効薬がない、非常に重い病気です。発症を防ぐため、現在では、MRワクチンという、風疹と混合した形式で、1歳児と小学校入学前に接種されます。
症状は、高熱・咳・鼻水・全身の発疹が主なものです。合併症も重いものがあり、中耳炎(15%)・肺炎(6%)・脳炎(約1000人に1人)が認められ、毎年日本でも死亡例が報告されています。

20数年前、私が病棟医として勤務していた頃の経験です。小学3年生の女の子が、けいれんと意識障害で入院しました。色々と原因を調べてみたところ、“はしかウイルス”による重症の脳炎と診断しました。“亜急性硬化性全脳炎”という病気です。この病気は“はしか”に感染後、7〜10年後に発症するきわめて重い脳炎です。
 病歴を聞いてみると、1歳の時に“はしかワクチン”を接種せず、2歳児に“はしか”に感染してしまいました。高熱が1週間続き、咳・鼻水もひどかったのですが、何とか合併症なく治りました。しかし残念なことに、完全に治ったわけではありませんでした。“はしかウイルス”が体の中で持続感染しており、結果として6年後に極めて重い脳炎を、発症してしまいました。
 患者さんの頑張りと懸命の治療、家族の願いも届かず、2か月間の闘病の末、残念ながら亡くなってしまいました。
「はしかのワクチンを接種していれば、はしかにも罹らず、脳炎にもならなかったのですね・・」
 母親の言葉が、忘れられません。
「帰省します!」
 7月の中旬になると、私の元にメールが来ます。「帰省しますよ!」と。連絡をくれるのは、高校時代の同級生の二人、A君とB君です。
 A君は、東京大学の教授。専門は西洋史。特にギリシャ史の専門家として、活躍しています。私は高校時代いわゆる“文系”でしたので、卒業時の同級生になります。クラスの席代えの時、隣の席になって、色々な話をするようになり、仲良くなりました。
 当時から、抜群に成績が良く、受験科目以外の教科も、常に学年トップでした。好きな勉強を、思う存分やりたい希望を持って、現役で東大合格。
 2年後、私が東京の大学に入学してからは、一月に一回くらいのペースで会い、飲んでいました。一時就職してからは、お互い忙しく、会うペースは減りましたが、55歳の現在まで付き合いは続いています。そういえば、結婚披露宴の発起人も、させていただきました。
 彼が札幌に帰省した時には、決まって狸小路2丁目の「銀座ライオン」で飲みます。メンバーはA君と私、そして高校の担任だったJ先生です。J先生は、御年80歳。英語の先生で、私たちを当時から大人として接して下さり、自主性を尊重してくれました。我々が、先生が札幌西高に赴任して、最初の担任学年だったこともあり、現在でも可愛がっていただいております。
 共通の話題は西高時代の思い出話ですが、何杯かジョッキが空くうちに、話題もあっちこっちに飛び回ります。昔の仲間の近況、受験制度、現在の学生気質、親の介護問題や自分の不健康自慢等々。
 “天下の東大”でも、昨今は国や文科省からの指導、要求が多岐にわたり、自分の研究だけ追及していれば良いという時代は過ぎ去り、大変厳しい時代であるらしく、最後は愚痴。愚痴を吐き、お互いに聞きあい、辛いのは自分だけではないと、妙に納得し、再会を誓う。それは、どこの世界でも変わりませんね。
 
B君は、高校時代のバンド仲間。彼がドラムス、私がヴォーカルでした。現在は、何かと話題になっている「東芝」の部長、本社勤務です。彼とも東京の学生時代、良く飲みました。当時私は三鷹、B君は磯子の独身寮に住んでいたので、中間地点の渋谷で飲みました。流行の“カフェバー”ではなく、小汚い居酒屋専門でした。
 若かったのでしょうね、結構な量を二人で飲みました。彼はいくつか、“酒の武勇伝”を持っています。飲んだ帰りの電車で、ぐっすり眠ってしまい乗り過ごし、気が付いたらなんと愛知県!後から聞いて、大変驚きました。
 B君の娘と、私の娘が同じ年齢ですので、小さいころは二家族集まって、花火をやったり、ゲームをしたり、公園で遊んだりしました。この娘たちも、今では高校3年生です。
 B君とはこの5月にも、一緒に飲みました。アレルギー学会が東京であり、新橋で待ち合わせ。行きつけの“蕎麦屋”で、日本酒をごちそうになりました。ちょっとした手の込んだ肴も美味しく、締めの“せいろ”まで、十分堪能しました。
 日本を代表する大きな企業の中で、33年を生きてきたB君。個人事業主の私とは、やはり随分と違った経験を積んできています。
組織内での生き方、上司への仕え方、後輩に対する指導の仕方、派閥の在り方、外国人取引先との接し方、接待の仕方・受け方、これからの日本経済の先行きなどなど、話題は尽きません。まあ、最後は思い出話と愚痴になるのは、しょうがありませんか。
 この数年は、娘さんが受験や、吹奏楽部の練習で、B君一人での帰省です。お盆の時期、私の家族を交えて、なじみの店で食事会です。自分の子供たちが高校生ですから、「高校生での出会いから、随分と長い付き合いだなあ・・」と、ある種の感慨があります。
 友人二人の帰省。今年はどんな話題が、出ます事やら。今から楽しみです。
「2015年 冬」
1月〇日
 今日は、「N先生お別れの会」があり、朝から葬儀場へ。年末に大変お世話になったN先生が、1年半の闘病生活の末、64歳でお亡くなりになりました。お付き合いいただいてから、約10年。この数年は、ゴルフで一緒にラウンドしたり、ススキノでお酒の席を共にしたりと、大変可愛がっていただきました。
 医師会のリーダーとしても、随分とご尽力されました。天性の明るさと、エネルギシュな行動力、無邪気な笑顔が、皆を引き付けた、素敵な方でした。
 年齢、専門、出身大学、出身医局、開業医・勤務医等々の立場の違いがある医師たちと上手に交流し、まとめることは、大変難しい事です。N先生が参加する飲み会は、いつも笑いが絶えず、本音で話ができました。医療制度の不備や課題・政治といったマジメな話から、ゴルフやススキノのお店や綺麗どころの話題まで、時間が経つのを忘れ、喧々諤々。有意義な時間でした。
 日曜日に行われた「お別れの会」には、約500名の人が、先生のご冥福を祈り、最後の別れを惜しみました。N先生へのお別れの言葉がありましたが、皆さんそれぞれに、生前のN先生ならではのエピソードを含めた、素晴らしい内容でした。いかに多くの方々に愛されていたかが分かり、改めて悲しみが広がりました。
 まだ64歳の若さですから、やりたい事、やらなければいけない事、見届けたい事、会いたい人、行きたい所、言いたい事・・、多々あったと思います。さぞ無念で、悔しかったはずです。
 11月の宴会で、十八番の「東京」聴いたのが、元気な姿を見た最後でした。安らかにお眠りください。今は喪失感でいっぱいです。合掌。

1月△日
 仕事を終えて、ススキノのライブハウスへ向かいます。到着が19時30分。店の入り口に続く、階段を下りていくと、生バンドの演奏が聞こえてきました。
 今晩は「フォークイン」という、北海道教育大学札幌校の音楽サークルの、同窓会です。医学部に入る前に、2年間在籍していましたので、参加させていただきました。当時は、先輩たちばかりのバンドに入れてもらい、ヴォーカルを担当しました。80年前後に流行ったAORや、当時好きだった「スペクトラム」のコピー「トマトイッパツ」「Act Show」なんかを、一生懸命歌っていました。
 今回幹事のMさんは、私より5年先輩で、ドラムを担当していました。私が入学時はすでに小学校教師として、仕事をしていましたが、バンドの練習後には「反省会」と称し、学生と一緒になって、深夜までドンチャン騒ぎ。随分と飲ませてもらいました。当時は給料の7割近くが、酒代だったようです。現在は更生(?)して、立派に校長先生として、ご活躍されています。
 当日同窓会に集まったのは、現役学生の部員も含め45名。現役・OBの希望者には演奏してもらって、思い出話で、懐かしく、楽しく旧交を温めました。
 Tさんは、当時「特美」に在籍。自ら作詞作曲をして、女性としては独特の低い地声で、切々とした愛の曲を歌っていました。歌詞も魅力的で、素敵な先輩でした。現在は結婚され、旭川でギャラリー&セレクトショップをされています。
 Aさんは養護の先生。当時はウッドベースを弾いていて、「Jazz研」の立ち上げメンバーとして、活躍されていました。飄々としたキャラクターで、デニムが似合っていました。後輩にも気安く話をしてくれ、生意気だった私は、随分と助けられました。現在は体調を崩され、演奏はしていないとの事でしたが、35年ぶりに話をさせていただき、嬉しかったです。
 Oさんは一学年上で、部の看板バンドで、ギターを担当していました。現在も当時のメンバーたちと演奏を続けていて、ライブもやっている現役です。ウエストコースト系やブルースを、楽しそうに、こなれた手つきでプレーしていました。音楽は、確かに人生を豊かにしてくれますね。
 Kさんは当日所用のため、残念ながら欠席。2年先輩で、私とは35年のお付き合いです。ベース担当で、現役で演奏しています。Mさん・私と一時バンド活動を、一緒にしていました。今流行の音楽にも精通しており、教え子にはプロのミュージシャンもいます。私の歌の良き理解者であり、時にはシビアに感想を言ってくれ、アドバイスをくれます。ありがたい先輩です。
 Hさんは、3年先輩。当日会計担当として、幹事をサポートしていました。正統的なフォーク系のスタイルで、弾き語りで自作の曲を歌っていました。キュートな容姿と女性らしい声は、コンテストでも入賞し、民放ラジオで番組も持っていました。所属していた「心理学科」の先輩でもあり、随分可愛がっていただきました。
 大学に入学したばかりで、自意識だけが強く、かといって何も出来ず、これからの生き方を探していた頃の自分の姿を、おぼろげに思い出しました。短い2年間の教育大学時代でしたが、私には貴重な経験だったと、改めて思います。歌は現役ですので、次回の同窓会では、何か一曲歌いたいと思います。
「2014年 夏」
 7月○日
昼まで仕事をした後、大急ぎで「札幌国際CC」に向かいます。現地到着が、スタート10分前。ストレッチもしないまま、素振りを数回して、スタートです。前半は仲間3人と、32度の暑さの中、大汗をかきながらのラウンド。
 後半は、今日のメーンイベント、「女子プロFさん」を交えてのラウンドです。Fさんは鹿児島出身で、現役のシード選手。一週間後に開催される「Meiji cup」出場のために、札幌入りされています。他のメンバーは、以前から交流があり、毎年この時期に、ゴルフをしているとの事。懇意にさせていただいているW先生のご紹介で、私は初めてご一緒しました。
 Fさんは、白のピッタリとしたパンツに、黒の無地のポロシャツ姿。両腕、顔は日に焼け、精悍な印象です。
 どっしりとしたアドレスから、コンパクトに振りぬきます。数ホール観察しましたが、いやあ、球が曲がりません!ほとんどのホールで、パーオンします。また、パターが素晴らしく上手です。傾斜と芝目をしっかりと読み切り、ボールはスルスルと、カップに寄っていきます。マナーも性格もとても良い選手で、いっぺんでファンになりました。
 夜はFプロを交えての、食事会。ゴルフ談義で大いに盛り上がり、トーナメントでの活躍を期待し、出席者全員で温かく激励しました。


8月○日
 15時45分発の便で、関西空港へ。娘の「オープン・キャンパス」に付き添い、二泊で京都です。ホテル到着が20時。もう少し空港から近ければと、いつも思いますが、仕方がありません。夕食後、早めに就寝。
 翌日の京都は、朝から強い日差しが照りつけ、予想最高気温は36度。湿度の高い風が、ゆるゆると吹いています。10時過ぎにキャンパス到着。人気の高い大学なので、沢山の高校生がキャンパス内を歩き回っています。私のように遠方から来たのでしょうか、保護者同伴の高校生もかなりの数です。構内にはボランティアの学生たちが、案内や説明に颯爽と動き回っています。1時間ほど、娘と一緒に構内の博物館、図書館などを見学。娘は午後からの学部説明会に出るとの事で、私は一人キャンパスを離れました。
 時計を見ると、まだ11時半です。少しばかり鴨川を散策した後、電車で「鞍馬山」に向かう事にしました。平日の昼間なので、電車はすいていて、京都郊外の景色をゆっくりと見ながら、約30分で終点に到着。山からの風は、街中より幾分涼しく感じられます。
 「鞍馬山」の頂上を目指し、汗を垂らしながら山道を登ります。鞍馬山は山全体が信仰の対象のようで、高い木々や自生している植物、動物、虫なども大切にされています。山の澄んだ空気とエネルギーを感じながら、20分で山頂に到着です。大講堂からは、月一回の例会のようで、大人数の念仏が聞こえてきて、何か敬けんな気持ちになりました。
 昼食後、電車・地下鉄を乗り継いで、京都市内へ戻ります。猛暑の中、結構な距離を歩きました。ホテルに帰る前に、汗を流すために「京都タワー」地下の銭湯へ。入浴料金750円也。時間が早いせいか、数人のお客さんでしたので、ゆっくりと湯船に浸かります。夕食はホテル内で日本料理。夏の京都は久しぶりでしたが、鱧のお椀が、絶品。日本酒を冷やで、2合半。

8月△日
 平岸霊園で祖父・祖母の墓参りを済ませて、札幌インターチェンジから、高速に乗ります。思ったよりも混んでいて、剣淵に着いたのが12時。道の駅で昼食です。時分時でしたので、15分待ちでテーブルに案内されました。私は味噌ラーメン。奇をてらわない味付けで、普通に美味しかったです。女房と娘はうどん、息子は醤油ラーメン。
 名寄→興部→紋別→サロマ湖へ。途中特に名所もありませんので、ひたすら80キロで車を走らせます。佐呂間町のいつものスーパーで、むきホタテ・北海シマエビ・マトンジンギスカンを、札幌のお土産に注文し、ホテル到着が16時45分。残念ながら曇りだったので、名物の夕陽を見ることはできませんでした。温泉は鉄分が強めでしたが、なかなかのお湯。夕食はバイキングでしたが、ホタテの刺身、野菜の天ぷら、青ツブ美味し。昨日飲みすぎたため、日本酒1合半+瓶ビール1本で終了。早めに就寝。
 朝は7時起床、朝風呂に軽く入ってから、朝食後9時にホテルを出発。あいにくの曇りの天気です。
 硫黄山→摩周湖→美幌峠→北見経由で、温根湯温泉に向かいました。今夜は、2年に一度の「S会」(Sは女房の旧姓)です。女房の親戚一族が総勢40名、温泉に泊まり宴会をして、懇親を深めます。東京からも二家族が、飛行機を乗り継ぎ参加です。16時に、宿到着。温泉でリラックスした後は、18時からの大宴会です。
 大広間に全員が集まり、宴会開始。私からは「加賀鳶」を差し入れ。乾杯から始まり、各家族の近況報告、カラオケ大会、演芸大会と延々3時間の長丁場です。座敷なのでそれぞれ自由に席を移動し、杯を重ねます。普段ほとんど歌わない私も、お付き合いでカラオケを一曲披露しました。昭和歌謡の名曲、辺見マリの「経験」です。
 女房の親戚は、なかなかユニークな方々がいますが、今回のメインは「S氏」です。女房の旧姓をペンネームにし、現在放送作家・小説家として活躍されています。年は43歳。女房の従弟に当たります。
 初対面でしたが、礼儀もしっかりしていて、気も遣う、なかなかのナイスガイです。文学やマスコミ、酔いも手伝ってか、人見知りの私としては珍しく話が弾み、再会を約束しました。どこの業界でも、成功するには才能だけではなく、地道な努力や気遣いが、必要なのでしょうね。増々の活躍を祈りたいと思います。
 気を付けていましたが、少々飲みすぎました。日本酒は後からきいてきます。二次会部屋では、飲み足りない面々が集い、昔話に興じています。申し訳ないと思いながら、部屋に戻り布団に潜り込みました。明日でお盆休みも終わりです。月曜日から仕事です。
気を取り直して、がんばりましょうか!