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「春は別れの季節と言うけれど・・」
 2週間に一回、リフレッシュも兼ねて、職場の近くにあるK理髪店に通っています。夫婦二人と、若い修行中のA君で、店を切り盛りしています。平日の昼間でも、お客さんが絶える事がないので、繁盛しているのだと思います。ご主人の腕も確かです。
 A君は、少し太めの体型で、柔和な笑顔。店の雰囲気を上手に和らげます。丁寧な仕事ぶりで、髭を剃ってくれます。実家は、小平町で父親が理髪店をやっている“二代目”です。
 小平町は、留萌の近くの、日本海側の町。昔はニシン漁で栄えたとの事ですが、A君曰く「海と風の町で、今は何にもありません」。現在はタコ漁、ホタテ漁が主で、人口は3000人と少し。人口減少に悩む、過疎の町です。
 「冬は、風が強く、きついですよ。地元の人でも、辛いし、嫌になります」こうも、言っていました。
 A君がこの春、6年半の修業を終え、千葉県の理髪店に移る事になりました。ご主人曰く「技術的には、8割は完成。あとは、知らない土地で、初めてのお客さんと、上手にコミュニケーションを保てる訓練をする事を勉強して欲しい。近いうちに、地元の二代目を継ぐのだから・・」親心ですね。
 札幌では、彼女を見つけられなかったようで、ご主人を心配させていました。新しい土地で、もうひと頑張りですね。札幌の常連さんは、皆期待しています!

 そういえば、私の娘も、4月から札幌を離れました。志望する大学に何とか合格し、東京で一人暮らしです。可愛がっていたネコ2匹(リンちゃん&フウちゃん)、とも離ればなれ。
 学校の授業も、なかなか厳しいようで、忙しいながらも充実した、キャンパスライフの始まりです。短歌のサークルにも、入ったとの事。時間に余裕がある時は、自炊もしているようです。
 娘から女房には、頻繁に連絡があるようですが、男親の私にはゼロ。まあ、仕方がないですね。特に話もないですし・・。便りのないのが、無事な証拠といったところでしょうか。
 親元を離れて、初めて分かる事があります。少しずつで良いので、新しい事に挑戦し、視野を広げ、しっかりとした教養を身に着けてほしいと思います。
 夏休みに帰省する際には、元気で成長した姿を、見せてください。

「花巻に一泊旅行」
 1月28日、土曜日。昼までの仕事を終え、JRで千歳空港へ。15時50分発の飛行機で、花巻に向かいます。「花巻空港周辺が強風のため、引き返す可能性もあります」とのアナウンス。高所恐怖症の私は、少々不安に襲われます。
 乗客は20名くらいでしょうか?小さな機内は、閑散としています。通路側の席で、ひたすら前だけを見て、揺れない事を祈ります。幸い祈りが通じたようで、風を受け多少は揺れましたが、何とか無事に到着。一安心です。
 到着ロビーでは、友人T君夫妻が、笑顔で私を出迎えてくれました。T君とは、大学時代からの付き合いで、病院実習を一緒に回り、国家試験前には、グループで一緒に、試験勉強をしました。もちろん一緒に遊び、酒を飲んだ仲です。今でも時々、電話で近況を報告し合っています。
 最後に会ったのは、8年ほど前でしょうか。夫婦で札幌に遊びに来た時です。卒業後、岩手医大・循環器内科の医局に入り、現在盛岡市内で開業しています。

 奥様の運転で、今日宿泊する花巻南温泉郷・鉛温泉「藤三旅館」を目指します。夕暮れの市内を40分くらい走り、細い曲がりくねった道路を降りて、旅館に到着です。木造3階建ての、堂々とした、歴史を感じさせる建物です。ぼんやりとした桃色の照明効果もあって、不思議な郷愁を感じました。
 部屋で一休みの後、自慢の温泉へ。A君の案内で、秘湯「白猿(しろざる)の湯」に入りました。天然の岩をくり抜いた湯船は深く、立った姿勢での入浴です。柔らかな湯で、温度も39度くらいでしょうか?ぬるめの湯が好きな私には、ちょうど良い湯加減です。吹き抜けの高い天井を見上げ、湯に浸かっていると、体のこわばりが、徐々に抜けていくのが分かります。

 風呂の後は、部屋での夕食です。3人でシャンパン1本、赤ワイン2本、日本酒四合瓶一本。旅行先での解放感もあって、お酒が進みます。
 仕事、家庭、子供の進路、旅行、音楽、共通の友人の近況、自身の体調、親の介護、兄弟の様子、美味しい店、地元の経済、リタイア後の生活、クリニックの経営、女房への愚痴、震災、震災後の岩手・・。話題は尽きません。
 T君のマイブームは、歌舞伎鑑賞との事。新幹線で月一回のペースで、歌舞伎座通いを、夫婦仲良く、この数年続けているようです。なかなか良い席を取れないのが悩みとか。人気公演は、発売後ほんの数分で、売れ切れると言っていました。
 T君曰く「歌舞伎の御曹司は、舞台でのオーラが全く違う。人を引き付ける力がある。生まれ持った遺伝子、幼少からの英才教育、伝統芸を継ぐという覚悟と弛まぬ努力が、観客を魅了するのだろう」。私も話を聞きながら、妙に納得させられました。

 朝湯に入り、軽めの朝食。幸い、お酒も残っていません。9時30分に旅館を出発。昨日とは違って、風もなく、柔らかな日差しです。
向かったのは「宮沢賢治記念館」。旅館から、20分ほどのドライブです。小高い丘の駐車場には、岩手県以外のナンバー、レンタカーも並んでいます。
 日曜日という事もあってか、館内はなかなかの混雑ぶり。足を止め、熱心に資料を読んでいる方々も、沢山いました。賢治に関しては、断片的な知識しかありませんでしたが、生い立ち、世界観、自然観、芸術、創作、宗教観を、バランス良く展示してあり、ファンでない私でも、十分楽しめました。一瞬「木偶乃坊こけし」を、お土産にとも思いましたが、やめました。

 次に向かったのが「萬(よろず)鉄五郎記念美術館」。T君曰く、盛岡を代表する、日本近代美術先駆者の、美術館との事。美術館の建っている場所は、萬の生家のあった所です。こぢんまりとした二階建ての館内では、時代を追って、萬の作品が展示してあります。生い立ち、時代背景、作風の変化は興味深く、ゆっくりと絵画を鑑賞できました。
 ただ、代表作である「赤い目の自画像」は展示されておらず(岩手県立美術館蔵)、デビュー作「裸体美人」もレプリカだったのが、少し残念ではありました。

 そろそろ昼です。小腹も空いてきました。車は、市内の人気蕎麦屋に向かいます。時分時でもあり、店内はほぼ満員。わんこそば・全国大会も行われる、有名店らしく、店員さん接客にも活気があります。
 席が隣の家族は、親子丼。美味しそうな匂いが、食欲をそそります。T君はもりを二枚、奥様は鴨南蛮、私は鴨せいろ・大盛りを注文しました。蕎麦はやや細めで、二八くらいでしょうか?のど越しも良く、程よい香りも残っています。ネギ・鴨もしっかりした食感で、やや辛めの汁との相性の良く、美味しくいただきました。

 一泊という短時間の花巻滞在でしたが、久しぶりにT君ともゆっくり話ができ、初めての場所を案内してもらい、大変楽しい旅行でした。こんどは花と緑あふれる季節に、再訪したいと思います。
 T君、きめの細かいおもてなしを、ありがとうございました。お互い、もう少し頑張りましょう!

「卒業30年目の、同期会」
 昭和62年に、医学部を卒業しましたので、卒後30年になります。10月末の土曜日、「卒業30年目の、同期会」があり、参加しました。
 診療後、14時30分の飛行機で東京へ。16時に羽田着、新宿のホテル到着が17時30分。シャワーを浴び、着替えてから、同ホテル内の会場へ向かいます。
 卒業してすぐに、札幌に帰ってきて、北海道大学の小児科に入りましたので、母校との繋がりも、現在ではほとんどありません。仲の良い数人とは、時々電話で話をしますし、東京に出張の際は食事をしますが、多くの同期とは顔を合わせるのは30年ぶりです。
 受付を済ませ、テーブルへ。ざっと会場を見渡すと、現在の姿と、名前が一致するのは約半分。学生時代に仲が良かったメンバーは、すぐに分かります。出席者48名との報告が、幹事からありました。北海道からは、私だけの出席でした。

 A君は、栃木県佐野市で、開業。産婦人科医でしたが、今は内科も診察しているとの事。彼曰く“田舎のなんでも屋”。彼とは卒業旅行で奈良に旅行し、マニアックな場所を観光しました。天理市にも宿泊し、街の掃除の行き届いたきれいさに、二人で驚いた記憶があります。
 T君は今回の幹事。母校に残って、准教授。現在は学生たちの指導をしているとの事。脳外科医。東京出身の彼は、当時から洒落者で、田舎者の私を初めて“青山”の“ブルックス・ブラザーズ”なる、おしゃれスポットに連れて行ってくれました。
 D君は、長崎で外科を開業しています。3回留年しましたが、「私には同期が、みなさんの3倍います!」と、笑いを誘っていました。実は数年前に胃がんを発症し、手術しました。幸い、術後の経過は順調。長崎で、全国に先駆けて“在宅医療”の普及に中心的役割を担い、尽力しています。
 Nさんは、小児科医。都内で研修の後、今は同級生のH君と結婚し、北九州市に住んでいます。当時と変わらぬ、素敵なスタイルと笑顔でした。“腎臓患者さんのための、カリウムの少ない野菜づくり”など、自分の理想に邁進するH君を、上手にコントロールしているようです。
 F君は、都立病院の血液内科部長。学生時代は首席で、母校の教授候補でした。真面目で、穏やかな印象は変わりませんでしたが、「S君(亡くなった同期)の担当医として、上司と治療方針が異なり、結果として大学を辞めました」とのコメント。医師としての真摯な生き方と、激しい芯の強さを感じました。
 その他にも、昨年55歳にして初婚のN君、3度離婚のM君、相変わらずのカーマニアのS君、震災後の福島で放射線後遺症の調査をしているMさん、世界の美術館めぐりが生きがいのKさん、湘南の海で今でもサーフィンを楽しむY君・・・。
 またの機会に、お会いする事を楽しみに。私も日々の暮らしを充実させ、元気な姿で出席を続けたいと思います。

「開業15年です!」
2001年10月1日が開院日ですので、10月で開業15年になります。
 開業当時の出来事を調べてみましたら、「小泉内閣誕生」「愛子様誕生」「アメリカ同時テロ」「札幌ドーム完成」「ハリーポッターのベストセラー」「ムシキングの流行」など、やはり隔世の感があります。

 開業当時は資金的な余裕もなく、事務職員2名、パート看護師2名で始めました。パート看護師さんは、隔日勤務で1名でしたので、採血、点滴等は、私がやっていました。薬も院内処方でしたので、空き時間を利用して、私がせっせと薬を分包して、ストックしていました。薬の発注や在庫管理、患者さんへの説明も、私がメインで行っていました。診療時間も、月〜金は9時〜19時、土曜日は12時まで。若かったのでしょうね、良く続いたものです。インフルエンザに罹って、数日休診したのが1回だけ。何とか大病もせずやって来られました。

 スキーで足首を捻挫し、約一か月歩けなかった事もありました。診療中にめまいがして、あわてて知り合いの内科に駆け込み、診察していただいた事もありました。不摂生がたたり、痛風の発作も数回。一念発起して、8キロのダイエットもしました。
 幸いにして、大きなトラブルは発生しませんでしたが、小さなトラブルは毎度の事。その都度、私自身の経験と知恵を絞り、全力で対処してきたつもりです。スタッフ間の人間関係がギクシャクし、私の判断で退職を促したこともありました。スタッフは全員女性ですので、感情論になってしまうと、収拾がつかず、お手上げです。
基本的には“性善説”ですが、数年前に患者さんのスニーカーが盗まれて、防犯カメラを設置しました。

 大晦日の休日当番も、4〜5回やりました。スタッフも随分と大変だったと思います。
「新型インフルエンザ」の流行時に、休日当番に当たり、クリニックの外、北一条通沿いに、長い行列ができた事もありました。300名弱の患者さんが、受診を希望しました。忙しい時期の休日当番受診数が100名強ですから、約3倍です。スタッフ全員でフル回転。朝の8時から診療開始し、終わったのが22時30分。トイレタイムを数回取っただけで、軽食を取り、水分を取りながら、ひたすら必死で診療しました。札幌での流行が全国に先駆けたものでしたので、診療の様子、クリニックの混雑ぶりが、全国版の新聞に掲載され、テレビでも大きく取り上げられました。

 クリニック周辺の様子も、随分と変わりました。北一条通は、片側2車線に拡張し、以前にも増して、交通量が多くなりました。クリニックの前の交差点には、信号機が設置されました。近くの民家は取り壊され、大きなマンションが、いくつも建設されました。向かいには、コンビニもでき、繁盛しているようです。
 周辺に保育園も随分と増えましたね。園医を頼まれる事も増え、今では五か所の保育園で、定期的に健診をしています。特にこの数年は、本州企業が運営する施設が増えました。その他に小学校の学校医を2校、幼稚園の園医を2園、担当していますので、少しは地域医療に、貢献できていると思っています。

「お前みたいな、愛想のないやつが、よく15年もやったと思うよ。ある意味大したものだわ」
 悪友の、素直な感想だそうです。
開業医としては、そろそろ折り返し点あたりでしょうか。慢心することなく、与えられた仕事を、きちんとこなしていきたいと思っています。

「Kさんの事」
「転勤です!お世話になりました」
6月の少し肌寒い午後。彼は面会で診察室に入って来た途端、はっきりとした口調で、告げました。
 180センチの長身に、厚い胸板。半そでのシャツからは、はち切れそうな太い手が伸びています。
「7月から、東京に転勤になります。先生には、大変お世話になりました」
「えっ、転勤かい。正式に、決まりなの?」
「はい、辞令が昨日、出ました」
「そうか、まあ・・・サラーマンは、仕方ないか。だけど、残念だなあ」

 Kさんは、血液製剤を主力製品としている会社の、営業マンです。小児科のクリニックでは、使う事がない製品を扱う会社のMRさんですが、懇意にさせていただいているW先生の紹介で、お付き合いが始まりました。
 W先生を交えて、食事をしたり、ゴルフに行ったり、野球を見に行ったりと、随分と楽しい時間を過ごしました。私の歌のライブにも、毎年来てくれました。

 Kさんの経歴は、医療業界では随分と異色なものです。MRの前は、プロ野球のスラッガーでした。国士舘高校、青山学院大学、ホンダでの社会人野球を経て、プロ野球の世界に入りました。
 大学時代は東部リーグで、ベストナイン。社会人時代は都市対抗で、新人王の意味合いもある「若獅子賞」&ベストナインとして活躍した、輝かしい球歴を誇ります。
 「右の大砲」として、大いに期待されたプロ野球人生でしたが、残念ながら力を発揮できず、わずか3年間で退団する事になりました。

 退団後、色々と新しい仕事の誘いはあったようですが、最終的に全く経験も知識もない、医療業界に飛び込みました。大きな挑戦です。
 転職当初は、予想以上に生活が変わり、随分と戸惑ったようです。サラリーマンとしての常識・作法・服装・言葉使いを、初歩から厳しく指導されました。野球だけを通して、社会とかかわってきた身には、世界観が変わる体験だったと思います。
 札幌でのMR生活が始まり、6年が経ちました。人知れず、勉強も努力もしたはずです。今では立派にMR試験にも合格し、営業成績も上位の、やり手営業マンです。

彼の優れている面は、挨拶がしっかりできる事、知ったかぶりをせず勉強する事、そして何より愛嬌がある事です。病院スタッフからの受けも良く、人気があります。生まれ持った、恵まれたキャラクターなのでしょうね。
もちろん、30代半ば。まだまだ足りない面はあります。自分と価値観の違う人間と、上手に意思疎通を図る事。感情だけで意思決定をせず、冷静に局面を判断する事は、今後さらなる飛躍に必要と思います。
新天地・東京でも、しっかり仕事をやりきって下さい。札幌応援団はみんな、別れるのはさびしいです。
Kさんの今後の頑張りに、大きな期待をしています。

頑張れ『金子洋平』さん!