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円山ため小児科院長のコラム

CD“不機嫌な猫”完成しました
選曲・レッスン・アレンジ・録音・ミキシング等々、準備に1年間かかりましたが、「不機嫌な猫」完成しました。今回はお気に入りの日本の曲を、10曲カヴァーしました。年代・曲調・ジャンルもバラバラですが、すべて私のお気に入りの曲です。
以下、今回のCDのライナーノートです。
1枚1,000円で、受付で売っていますので、興味のある方は聴いてみてください。

「機嫌な猫がご機嫌に目覚める日を願って」

 前作「THE NEW STANDARD−希望−」から7年。まもなく還暦を迎えるという年齢を目前に、多米はCDの録音を決意する。「もう最後かもしれない」と彼は言う。音楽家の中でもボーカリストは声だけが武器。直接的に肉体を駆使して発せられる“生身の音”には、その場に存在する歌い手のいっさいが宿る。歌い手は“生身”をさらけ出すが故に常に自覚的であり、声質や音域の衰えなど誰よりも厳しい批評家となるのだろう。「最後かも…」との発言に、そんなストイックな心境が垣間見える。
 しかし、生身の音とは何か。音楽に感動を覚えるのは、充実期を迎えた音楽家の優れた演奏によるものだけではない。破滅的な人生を丸ごとさらけ出すビリー・ホリデイのしゃがれた歌声に魂を震わせることもあれば、バスクラから発せられる晩年のエリック・ドルフィーの悲鳴に打ちのめされることもあるだろう。いや、私はそれどころか、名もない老人のトゥバラーマや建物から漏れ聞こえてくる子供たちの合唱に成す術もなく立ち尽くし、落涙したことさえある。音楽に感動する刹那とは、根源的には演奏家と聴き手との間に生じる説明不能のエモーションとしか言いようがなく、それこそが言語を介さない音楽の本質なのだと思う。
 多米はこうも語っている。「音域が狭くてもいいから、さらりと歌いたい」。年齢を重ねることでしかわからない自分だけの境地。彼の本当の思いはわかりようもないが、“さらり”とは単純に力を抜くとの意味ではないだろう。経験を重ね、力を尽くしてこそ見えてくる歌い様というものがあるのだと思う。元々「夢見る頃を過ぎても」と名付けられたこのアルバムには、そんな多米の思いが反映されている。そして、ここからさらに見える風景とは…。この録音はそのための旅の始まりを告げる分岐点と私には思えてしかたがない。夢みる頃を過ぎたとしても、それは見果てぬ夢ではないのだ。「grumpy cat 不機嫌な猫」がご機嫌に目覚める日はいつ訪れるか─。
 本作に収録された曲は60年代の世界的ヒット曲「上を向いて歩こう」から90年代のJポップスまで極めて多彩だ。多米が昔から好んだ歌ばかりではなく、EGO-WRAPPIN'やORIGINAL LOVEなど他人に勧められた曲もセレクトしたといい、チャレンジする心意気がうかがえてくる。彼が今回の録音で大切にしたことは、余白を生み、歌詞を伝えることでもあるという。果たしてどう挑戦したかは聴いてからのお楽しみだ。ただ言っておきたいのは、いずれの曲においても慈しむように詩を紡ぐ姿勢が貫かれ、アルバム全体に艶やかな統一感を与えているということだ。
 アルバムのバックメンバーには、多米と同世代にあたる安斉亨(ピアノ・シンセ)、大山淳(ドラムス)、中堅として活躍中の鷹橋伸司(ギター)、木ノ内伸子(ベース)が参加し、安斉は全曲のアレンジを担当。さらにベイカーショップブギーのホーンセクションを務めた西岡俊明(トランペット)、コーラスに箭原顕、MIZUHO、松田宮佳が加わった。いずれも第一線で活躍するミュージシャンや札幌の音楽シーンの要を務める人物であり、酸いも甘いも噛み分ける腕利きたちが多米の思いを汲んでサポートを行っている。

1.上を向いて歩こう
 作詞・永六輔、作曲・中村八大、歌・坂本九、いわゆる「六・八・九トリオ」の世界的ヒット曲。坂本九の初披露は1961年のことだった。海外も含めて数多くの歌手がカバーしてきたが、外国語であってもニュアンスが伝わってくるようなメロディに心を奪われる。メランコリーな気分と明日への希望が絶妙なバランスを保ち、一歩を踏み出していくかのような多米の歌唱。今こそ、なお歌い継がれてほしい名曲だ。
2. 接吻 KISS
 田島貴男(ORIGINAL LOVE)のヒット曲。テレビドラマ「大人のキス」の主題歌として作曲された。田島はロックからジャズ、ソウルなど大変な音楽的教養の持ち主とみるが、この曲はグルーヴ感のあるラヴ・ソングとして完成度も高い。男性的でパワフルな歌声も田島の魅力で、意外にも多米は「歌ってみたらはまってしまった」と語っている。自身から遠いものを選択する妙が生む、活力とメリハリ。ギターソロを筆頭に、バックメンバーも躍動している。
3. 街の灯り
 知る人ぞ知るテレビドラマ「時間ですよ」の劇中歌。1973年のヒット曲で、作詞・阿久悠、作曲・浜圭介は八代亜紀「舟唄」のゴールデンコンビでもある。もちろん演歌ではなく、堺にあて書きしたと思われるスローバラードで、ソフィスティケートされた声質が多米にもフィットし、ぐっと盛り上がるサビが心地よく響く。何より詩がいい。息でくもる窓に書いた君の名の向こうに浮かび始める街の灯り─。静かに希望の灯をともす心情を多米は情感を込めて語りかけている。
4. 夢で逢えたら
 今でこそ作詞・作曲、大滝詠一のヒット曲として知られるが、90年代にラッツ&スターが歌うまでなかなか陽の目を見ることがなかった。男性ボーカルで初めて当たった驚きを大滝自身が語っている。ここでコーラスが加わり気分を一新、ハスキーな多米の歌声にまだ見ぬこの曲の魅力を感じさせる。それにしても大瀧詠一が亡くなってから5年。「まだまだ過小評価の人」と多米はリスペクトを寄せている。
5. 悲しい色やね
 1982年にリリースされた上田正樹のヒット曲。ある男女の別れが、女性の視点から描かれる。「泣いたらあかん…」といった、心のうごめきを描写する関西弁が痛切で、聴く者の胸に突き刺さる。洗練されたメロディと上田のハスキーボイスの組み合わせも絶妙で、一期一会の名曲といえるだろう。多米との相性も抜群で、主人公の心情に寄り添いながら、静かに熱く歌い上げている。
6. やさしいキスをして
 DREAMS COME TRUEがテレビドラマ「砂の器」の主題歌として2004年にリリース。「詩もメロディもいい」と多米が惚れ込んでの選曲。吉田美和はパワフルでテクニックも抜群の歌い手で、歌そのもののドラマチックな展開が聴く者を圧倒する魅力がある。熱烈なラヴ・ソングだが、緩急をつけ詞を旋律に溶け込ませる多米の歌いっぷりに、女と男双方の表情が浮かぶようで面白い。多米の意気を感じる歌唱だ。
7. 黄昏のビギン
 「六・八コンビ」の名曲。初リリースは1959年、水原弘のシングル盤だがなんとB面扱い。後に再評価のきっかけを作ったのは“ちあきなおみ”だった。シンセでアコーディオンを奏でる安斎の編曲が異国情緒を弾ませ素晴らしい。軽やかなノリの曲想に歌われる「初めてのキス」。聴いていてこれほど笑みがこぼれそうになる歌もそうないだろう。登場人物を慈しむかのような歌唱に、恋人たちの情景が滲む。
8. 色彩のブルース
 EGO-WRAPPIN'が2000年にリリースしたロングセラー。「ブルース」とはいえ、ジャズや昭和歌謡など多様なジャンルをミクスした音楽性がこのバンドの特徴。多米は「俺たちの世代になかった乾いたブルースで、実に新鮮」と、好んで取り上げている。バックの好サポートを得て、次第に高音に弾ける歌唱。時代と共に変遷する音楽と、時代を経ても変わらぬ魂の僥倖。
9. 遠くで汽笛を聞きながら
 アリスが上り調子にあった1976年の人気曲。「元々好んで聴いていたバンドではなかったが、今回あえて違うものを」とセレクト。今聴けばフォークからニューミュージックにまたがる音楽性がむしろ新鮮で、歌詞に強烈なパワーがある。絶望の果ての肯定を高らかに歌い上げること。多米のチャレンジが我々にも勇気を与えてくれそうだ。
10.希望という名の光
 山下達郎が2010年に映画『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』の主題歌として書き下ろした。困難な運命にも負けまいと起き上がる人生に差し込む光。静謐な雰囲気に包まれたこの曲は東日本大震災や熊本地震の際にも数多くオンエアされ、被災者の心に寄り添ったという。そうなのだ。音楽には寄り添い、支えてくれる力があるのだ。明日への希望に祈りを込める歌と演奏に、このアルバムのハイライトが訪れる。

     2019年7月 ロンド 鎌田竜也

「久しぶりに、近況など」
 「令和」に新元号が決まりました。選考過程には色々とあったと報道されていますが、個人的には凛とした響きで、気に入っています。新天皇の即位行事などで、GWは10連休。クリニックも、28日から5月6日まで休診します。リフレッシュして、新時代に備えたいと思います。
 連休中には、CDの録音を予定しています。今まで2枚のCDは、ジャズ、ブルースのスタンダードナンバーをカヴァーしたものでしたが、今回は私のお気に入りの日本の曲を歌います。1960年代から現在まで全10曲、自分が本当に歌いたい曲を選びました。プロデュースは私の歌の師匠“箭原顕さん”、アレンジは“安斎亨さん”にお願いしました。コーラス&ブラスセクションも加えます。たぶん最後のCD制作になると思いますので、しっかりと準備を進めています。
 萩原健一さんが、亡くなりました。俳優、歌手として大活躍され、私たちの世代のカッコイイ男性スターの一人でした。「傷だらけの天使」は、子供のころによく観ていました。トマトにかぶりつき、コンビーフの缶詰を頬張るシーンは、小学生にとっても印象的でした。日本人には少ない、乾いた雰囲気の演技をする俳優さんでした。歌も独特の節回しとファルセットで、「ラストダンスは私に」「愚か者」「大阪で生まれた女」など、 “ショーケン節”が素敵でした。いしだあゆみさんとデュエットした曲もありますので、聴いてみてください。
 普段ほとんどテレビは観ませんが、「チャンネルはそのまま!」、録画して一気に観ました。佐々木倫子さんの原作は、娘に勧められて以前に読んでいました。原作と近い配役の妙と、業界ネタをふんだんに盛り込んだ設定は、非常に面白かったです。ローカル放送局の立場や姿勢、心意気も感じさせてくれた作品でした。同じ作者の「Heaven?」も、今年の7月に放送予定との情報もあり、楽しみです。
 最近読んだ本でおすすめは、「ノースライト」です。横山秀夫さんの、久しぶりの新刊です。これまでは新聞社、警察を舞台にした小説が多かったのですが、今回は設計事務所の一級建築士が主人公です。バブル後の厳しい業界の現実、設計に懸ける建築士の熱い思い、大手と弱小会社との比較、家族の在り方、仕事と家族、生い立ちの環境がその後の人生に与える影響など、読み手によっていくつものツボがあると思います。是非ご一読ください。
 4月から同居していた息子が、進学のため東京住まいとなります。娘も東京ですので、夫婦二人&猫二匹の新生活です。夫婦での会話なんか、何かあるのでしょうか・・・。猫がいてくれて、正直良かったです。リンちゃん、フーちゃん、よろしく頼みます。
 今日の昼休みは、大通公園6丁目まで散歩。桜が待ち遠しい、今日この頃です。

「9月1日」
9月1日が、18歳以下の子供の自殺が、最も多い日だ。北海道以外の多くの地域で、夏休みが終わり、新学期が始まる日。多くの子供たちが、普段の学校生活では経験できない色々な体験をし、少し日焼けし、たくましくなった顔で、久しぶりに学校に集う日だ。
 自殺者の総数は、2009年の約3万3千人をピークとし、徐々に減少。2017年には、約2万1000人となった。しかし18歳以下では、2009年が306人、2017年が357人と自殺者が増加している。毎年多くの子供たちが、自らの命を絶つ現実には、胸が痛む。
 原因として、学業不振、こじれた友人関係、進路、いじめなどが、報告されている。いずれも多くの場合は、学校内で起こる問題だ。
 大人になるというのは、周りの理不尽さと、上手に折り合いをつけ、自分自身を納得させ、生きていく事だと思う。子供の場合は、どうしても学校という、限られた世界で生きていく事だけが全てで、人生経験も乏しく、見えている視界も狭い。今の人間関係が、これからも長く続くと、錯覚してしまう場合もあると思う。

 どうしても登校できない君、どうぞ休んでください。そして、自分の居場所を探してください。家庭、フリースクール、図書館、趣味のサークルなど、どこかに受け入れてくれる場所、心休まる場所があるはずです。エネルギーが切れそうなら、安心できる場所でゆっくり充電してください。
そして、周りの大人に、SOSのサインを送ってほしい。「助けて!」「つらいよ!」小さくてもよいから、声を上げてください。
一生懸命話を聞き、力になりますよ。大人は、君たちが思っている以上に、つらい世の中を渡って行くための、術や知識を持っているのだから。
 今のつらい状況が一生続くわけでもないし、時間が解決してくれることもあります。君自身の事、良さを分かってくれる人たちが、絶対います。
うつむき加減の顔を少しだけ上げ、背筋を伸ばしてみましょう。君の事を愛し、必要としている人たちが、沢山いますよ。
一番大事なのは、君自身が、この世界で存在し続ける事なのだから。

舌の記憶・・3 「琴似武道館とコーヒー牛乳」
小学校5年生から中学校3年生の夏まで、柔道をやっていました。小学校の時は、近くの「琴似武道館」で週3回の練習。中学に入ってからは、柔道部に入ったので部活も重なり、日曜日以外は練習日でした。 
その当時、琴似神社の裏手にあった「琴似武道館」が練習場所でした。60畳くらいの柔道場と、板張りの剣道場兼空手練習場がありました。柔道場では、一度に6組の乱取りが出来たと記憶しています。練習時間は、全部で1時間30分くらいだったでしょうか。準備体操から始まり、ストレッチ、打ち込み、乱取り、筋トレと黙々と練習をこなしていきます。 
強豪校でしたので、顧問の先生以外にも、大学生や警察官、柔道連盟の先生方にも指導を受けました。特に5月から7月の時期は、中体連前ですので練習が厳しくなります。練習開始30分で、柔道着は汗だらけ。背中に汗が流れ落ちます。 
当時はまだ、スポーツ医学が発達していませんでしたので、練習中の給水は厳禁。当然エアコンもありませんし、暑い日の練習は大変でした。練習の終わりには、のどがカラカラ。少々頭がボーっとしたことも、何度かありました。今で言う「熱中症」の初期症状だったのでしょう。 
練習後は急いで着替えて、武道館を出ます。神社の横を通り抜け、琴似本通りの交差点に向かいます。目指すは交差点にある、お菓子屋さんです。「久住書房」「いこい食堂」を過ぎ、到着。店の一番奥の冷蔵庫には、お目当ての「雪印コーヒー牛乳500ml」。当時130円くらいだったでしょうか。小銭を渡し、受け取り、パックの口を開け、一気に口の中に流し込みます。ごくごく、のどが鳴ります。冷たくて、少し甘いコーヒー牛乳が、あっと言う間にお腹に入っていきます。「砂漠の砂に、水が浸み込むように」という表現がありますが、正にこの感じです。干からびた体に、冷たさと甘みが、大変気持ちよく、美味しかった記憶があります。 
感受性が豊かな精神と、若く元気な肉体、そして練習後の解放感が加わり、強く記憶に残っているのだと思います。残念ながら、今では絶対に味わうことが出来ません。暑いこの時期、妙に恋しくなります。

舌の記憶・・2 「ミネさんの、チャーハン」
私が小学校低学年の頃ですから、昭和43年前後だと思います。実家の向かいに、ラーメン屋ができました。『味のミネ』が店名です。近所の人は「ミネさん」と呼んでいました。
L字型のカウンター席が十、4人掛けのテーブル席が二つの、小体な店構えでした。30代半ばの店主と奥さんが二人で立ち働く、今で言う「町中華」です。奥の棚にはテレビが置かれ、テーブルの下には、油染みのある週刊誌やスポーツ新聞。昼時分には、あらかた席も埋まる、中々の繁盛ぶりでした。
 メニューは、いたってシンプル。「ラーメン」は、醤油・味噌・塩、「チャーシューメン」。焼きそばは、ソースがベースの「柔らか焼きそば」、麺を一度油で揚げ、中華餡を掛けた「固い焼きそば」。丼物は、「親子丼」「かつ丼」。そして、「チャーハン」に「餃子」くらいの、種類だったと記憶しています。
 私のお気に入りは、「チャーハン」でした。御飯の他には、タマゴ、玉葱、ナルト、チャーシューを細かく刻んで、ラードで炒めただけの、極めて単純な作りのものでした。細く刻んだ紅ショウガが少々、申し訳なさそうに、てっぺんに乗っています。
 全体がベタッとした印象で、色も黄色というより薄茶がかり、一部の具は焦げています。パッと見には、それほど食欲をそそる見栄えではありません。
 でも不思議、一口食べると、これが美味しいのです。少しばかり焦げたラードの濃厚な香りが、鼻孔からふわりと入り込んできます。同時に、炒められた御飯が、タマゴ、玉葱とチャーシュー、ナルトが絡み付いたまま、両頬と舌を満たします。大きな中華鍋で炒められているので、御飯もパラパラです。ハフハフと、一口、二口、三口と食べ進め、紅ショウガで口直し。合間にコップの水をゴクリ。ものの数分で、完食です。
 あの頃は月に何度か、無性に食べたくなって、週末の昼食に、よく両親にねだったものです。
 「はい、毎度ありがとうございます。お釣りは、200万円!」
今で言う、おやじギャグですが、笑いながら毎回釣銭を渡してくれました。
店は奥様が体調を崩され、随分前に閉店しました。懐かしく、もう一度食べたい、思い出の「チャーハン」です。