
当クリニックでは、2つの待合室に常時30点の絵画、彫刻、書を展示し「癒しの空間」として患者様に好評を博しています。
建畠大夢「井原氏の顔」1941 44cm 直土会第一回展出品作
平成22年4月2日午後9時葉山某所にて、「井原氏の顔」を受け取った。薄暗い交差点の隅っこで、ずっしりした古い箱を受け取り、おもむろに蓋を開け「首を確認してよろしいでしょうか?」「たしかに・・・」と、まるでドラマの1シーンのようだった。まだ肌寒い湘南の夜の出来事であった。今でも夢の中の話であったような気がしている。
この作品の旧蔵者は建畠覚造氏である。昭和46年に和歌山県美で開催された展覧会に出品された27点のうちの1点であり、図版解説にはこう記してある・・・
「大夢の塾展ともいうべき直土会第1回展に井原氏の体とともに出品された。いまその所在を確かめることができたのは、この首のみであるが晩年の傑作である。以前の作品にしばしばみられた文学的な寓意を排し、彫刻的な表現に徹しきることによって豊かな造型性を獲得している」・・・絶賛である。これで大夢の作品は2点目である。1点目は「ほたる」大正12年曠原社第1回出品作である。これも素晴らしい女性像である。
この「井原氏の顔」を見た友人達は口を揃えて「これぞ彫刻だ!」「悌二郎の若きカフカス人を連想する」と叫ばれる。私の第一印象も若きカフカス人であった。言い換えれば、日本青年のナイーブな心理造型が見事に表現されている日本版の若きカフカス人がこの井原氏の顔とも言えよう。2つ並べても全く遜色のない出来である。大夢作品集の図版にはこの首の石膏像が載っているが、ブロンズはこの1点のみであり和歌山の展覧会から39年ぶりに再発見された訳である。本当に幸運であったと今更ながら美神に感謝している。彫刻好きにはたまらない、そして誤魔化しの一切効かない本当の人物造型彫刻である。大夢の底しれぬ実力が空恐ろしいくらいである。親友の西望曰く・・・「未曾有の大天才が天から降ってきた、彫塑界の驚異であり大先輩の大敵であった」この賛辞もうなづける。大夢の集大成ともいえる晩年の代表作と言っても過言ではない。是非実物を見て頂きたいと思う。
この取引は事前に何度もメールで打ち合わせし決して怪しいものではありません(笑)。心細い私に同伴してくれたのは9歳の次女(条件はファミレスのアイス)であり、本人も少しドキドキしたようだ。将来、彼女も美術品の取引なるものを経験する時には思い出すだろうか?

北村四海(1871〜1927):現在は忘却されているが大理石彫刻の第一人者である。滞欧中に結核を得、帰国後27年もの間、喀血しながら名品の数々を世に送り出した稀有の精神力の人でもある。この作品は大正7年の第6回国民美術協会展に無鑑査出品されたものである。タイトルは「妙音」。再評価が待たれる彫刻家である。

川上邦世(1886〜1925):院展木彫の鬼才であるこの夭折作家を知る人は少ない。現存確認されている作品は7点にすぎない。この作品は唯一の男性像であり、鬼気迫るオーラとユーモラスな両面を醸し出す邦世らしい優品である。背景の「魔駆」の刻字は印象的である。まさに魔を駆除しょようとする正義の男が仁王立ちしているのだ。我が家では鉄人28号と呼んでいる。

高村東雲「金剛夜叉明王」明治7年 木彫 高さ13.5cm(像高9cm)羽下修三旧蔵
関野聖雲箱書き 台裏共書き
高村東雲(初代1826〜1879)の名を知る人はほとんどいないと言っていいだろう。その理由は彼が幕末明治の仏師であって作家ではないと認識されているからである。一方で、仏像研究者からは明治時代の作家的な傾向もあるとされ純粋な仏師としての研究があまりなされていないという。江戸と明治の狭間で彼の仕事を正当に研究評価する必要がありそうだ。いずれにしても近代木彫の夜明けは彼抜きには語れない。別の言い方をすれば彼がいなければ高村光雲は存在しなかったということだ。東雲は光雲の師匠であり、幕末から明治にかけて今にも消えんとする木彫の燈明を守り現代に繋いだ大功労者であったのだ。光雲が如何に東雲を尊敬していたかは高村光雲懐古談に詳しい。是非一読して頂きたい定番の名著である。先日、旧知の彫刻研究者に東雲について聞いてみたが、その研究はほとんどされてなく、その理由はやはり作家というよりは仏師のジャンルに分類されていることと、作品の所在が不明瞭でありサインがないものが多く本人作と断定できるものが少ない・・・との事であった。数少ない作品に西行像(平櫛田中美術館寄託)が知られているが、これだけではあまりに物足りない。仏像作品もしかりである。小品であれ、とにかく彼の真作があればその資料的価値は十分あると思われる。今後、この作品がキッカケとなり東雲研究が進むことを期待しているのは、私だけではないと信ずる。

謎の肉筆浮世絵師 田村水鴎
「美人楼上観景図(部分)」について
「絶海の孤島に独特な動植物が進化するに似て、鎖国下の江戸に花開いた浮世絵は、日本人の感性が産み出した至高の芸術です。江戸時代初期から明治時代まで、常に当世風俗への尽きない興味を表し、その親しみ易く享楽的な内容は庶民の指示を得続けてきました。文明開化の世となって瞬く間に洋才が移入する中、欧米にジャポニズムの旋風を巻き起し印象派の画家達にも多大な影響を与えたことは有名な史実です。これこそ世界の美術を変えた和魂のひとつでしょう・・・」と。日本洋画を語るには印象派の影響を避けることはできないし、その印象派に決定的な影響を与えた浮世絵を軽視して、また知らずしては日本洋画は語れない・・・と感じているのは私だけではないはずである。浮世絵と言えば、永谷園でお馴染の広重東海道53次や北斎の富獄36景などが有名だが、それらは絵師の元絵を彫師や摺師が分業で制作した多色摺りの版画である。一方、主に当時の富裕層から注文に応じて絵師が1点毎に丹念に制作した肉筆作品も存在する。流麗で繊細な墨線、艶やかで豪快な色彩感覚と自由な構図を特徴とする肉筆作品は絵師の感性と技量が新鮮に伝わり、版画とは別趣の魅力を放ちコレクターを釘付けにする。浮世絵と言えば美人画であり、3世紀の歴史の中での美人の変化を不変、微変と観るか多種多変と観るかは非常に興味深いところであるし、自分好みのマドンナはどの時代のどの絵師の作品かを探すのも楽しい。
さて、話を元に戻そう。田村水鴎という肉筆浮世絵師のことをご存知の方はかなりのツウであろう。浮世絵人名価格辞典(北辰堂)では{肉筆}450万生没年不詳、京都の人で作画期は元禄から享保?(延宝〜元禄の説)。全て肉筆で菱川風。土佐派を思わせる技法も見られ遊里、遊女を描いた美人画が多い。一説には女流絵師ともいわれる・・・とある。世界浮世絵学会員のS氏も水鴎の名品を所蔵されているが、この絵師に関しては資料が乏しく謎が多いという。東博はもちろん有名美術館や国内外の1流コレクターには必ず水鴎作品は所蔵されている。たとえば熊本県美の今西コレクションは1級の浮世絵コレクションとして知られているが、浮世絵蒐集にその一生を捧げた今西氏が最後に蒐集した作家こそ田村水鴎であった事は興味深い。私の所蔵している少ない水鴎の資料に“季刊浮世絵”?bV1963があり、その中に水鴎論が特集されている。金子孚水氏と吉田瑛二氏が謎の絵師、水鴎への熱い思いが語れている興味深い内容である。両氏は、水鴎の作画期は天和期からで、師宣の後を追っている存在でなく師宣と併走した存在であり、むしろ師宣が水鴎の流れに育った絵師としていいのではないかとしている。その理由は肉筆として師宣以上に確かなものを持っていると見るからである。構図においても設色においても師宣よりもかっきりとした本格的なものを身につけているのが、その絵によって知ることができる。水鴎は師宣よりも何か1本の筋を持っているということである。このことは非常に重要である。菱川師宣は浮世絵の開祖と言われており定説となっているが、その師宣が影響を受けた可能性があるのが水鴎とすると、菱川派は田村水鴎の流れを汲むという大変な事になるからである。推論とは言え金子、吉田という浮世絵研究の世界的権威が文章として発表すること自体が、水鴎に対する正当な評価を促すきっかけとなればいいのだが仮説のまま、あれから40年の月日が経ってしまったようだ。さて、水鴎の作品について考えてみよう。これだけの腕を持ちながら、水鴎作品が話題に登らなかった理由は、?@無落款のものが多い?A師宣が強烈な存在?B浮世絵商や収集家が版画専門の人ばかり・・と考えられている。実際、水鴎作品を扱っているのは、一流の骨董商でありその作品は常に表具が立派でありどれも昔から由緒が正しく、大切に伝来されたものが多く、版画が主な浮世絵商の手にはかかりにくかったようだ。このように浮世絵肉筆の大先輩であり、有名な研究家、収集家といえども水鴎の作品に接することがいかに少なかったかを知るのである。このことが水鴎を謎の絵師として埋没させてしまった遠因である。物故埋没洋画家・彫刻家と同じである。
今回、取り上げた「美人楼上観景図」10号紙本彩色を見てわかるように、いわば日本画の基礎といえる狩野派と土佐派の影響が見て取れる。菱川派に似ているが衣装の線を単純化し、独自の表現法で醸し出す画品とスケールは他の追随を許さない。美人を巨大に描いているのは村上華岳の美人画を彷彿とさせる。そしてシュールレアリズム的な不思議な構図も楽しめる。また水鴎作品のもうひとつの見所は立派な表具である。軸先は唐木千段巻撥。中廻しと一文字は辻が花(江戸前期)の初表装。この表具だけでも200万円かかるとは驚きである。我田引水であるが一度観たら感嘆の声を漏らす様な逸品であると思う。当時の官展アカデミズムとも言うべき狩野派と土佐派に庶民芸術である浮世絵モダニズムが見え隠れする、新しい日本画を予見する作品でもあろう。
今後、日本の絵画芸術が世界に広がるヒントが浮世絵にあるような気がしないでもない。鎖国という不自由な時代にもめげず心の自由を謳歌し産まれた、日本が誇る庶民芸術の粋が浮世絵であったのだ。現代はその反対である。便利になった分だけ、貪欲に心の自由を求める力が減退しているようだ。浮世絵の時代、好きな美人を風俗を勝手気ままに自分の個性と技量で描きまくった無名の絵師達に、遥かなる思いを乗せて指を置くこととする。乱筆乱文お許しあれ。