心療内科 刈谷市,新栄町 精神科,心療内科 羽根メンタルクリニック
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「病気のお話し」
病気のお話し その一
  代表的な病気と治療について簡単に紹介します。もっと詳しいことを知りたい方は、「その二」に進んで下さい。

  話を始める前に、最初に一つ是非知っておいて頂きたいことがあります。それは、余程重篤な状態にならない限り、どんな病気になっても病気自体はその人の一部分でしかないということです。うつ病の人でも身体的には病変はないのが普通だし、神経症の人も一日中不安な状態にあるわけではありません。統合失調症の人も四六時中幻聴を聞いていたり、妄想の中で生活しているわけではありません。病的な部分を持ちそれに苦しんでいる反面、健康な部分を多く持ち合わせています。病的な部分だけに目を向け、健康な部分を見ようとしないとその人の全体像は捉えられず、治療に支障を来たすのはもちろんのこと、その人を誤解してしまうことになるでしょう。

うつ病について
    何となく以前の自分と違うし、気分も憂うつでくよくよする。夜中に何度も目が覚めたり、いつもより朝早く起きてしまって、ぐっすり寝た気がしない。食欲もないし、これから一日が始まるかと思うと気が滅入る。疲れやすく体がだるい。頭も重いし体調がすぐれないので、病院に行っても、「どこにも異常はないですよ」と言われる。
テレビや新聞を見る気にならない。好きなことをやっても楽しめない。家事もきちんとしないと気がすまなかったのに、献立を考えるのも面倒になる。何をやっても根気が続かずすぐ嫌になるし、すべてが億劫でやる気がしない。物忘れも増えた。能率も落ち、仕事がはかどらないのでみんなに悪いと感じる。自分がつまらない人間に思え、生きていても仕方がないと思えてくる。この世から消えてしまえたらどんなに楽だろうと考えてしまう。
このような状態になったことはありませんか?気の持ちようの問題でもなく、怠け心が出ているのでもありません。これがうつ状態です。こんな時には精神科的な治療が必要です。うつ病の薬や睡眠薬・安定剤を飲むことによって、あるいは充分な休息を取り、自らを取り巻く職場環境や生活環境の問題を考え、対人関係の悩みなどを語ることにより回復していくものです。
疲れて仕事に集中できないので、やる気がしないから数日休んだらまた元のようにやれるようになったという経験はありませんか。軽いうつ状態なら休息だけで回復するものです。うつ状態やうつ病になった時には、これまで頑張って働いてきた自分に対するご褒美として、自分自身にリフレッシュ休暇を与えてあげましょう。何よりも休息が必要なのです。
 
躁状態について
    先にあげたうつ病は、最近では感情障害と呼ばれています。感情障害の中のもう一つの代表が躁病であり、うつ状態と躁状態の両方を繰り返すのが躁うつ病です。
  躁状態では気分が高揚し、自分は偉い人間で何でもできると思うようになります。睡眠が取れなくても元気に行動し、必要のない高額なものを買ったり周囲の人々に対し横柄になります。爽快な気分の割にはイライラしたり、怒りっぽくなります。いつも何かにせかされているように行動し、取り留めなくいろんなことを考えては実行しようとします。自分自身は困っていなくても、周囲の人々は迷惑がり困ってしまいます。食欲や性欲が亢進します。逸脱行為を繰り返す内に、次第に疲れ自分で自分をコントロールできなくなったり、誇大妄想を述べ、入院を余儀なくされることもままあります。躁状態も薬と休息で治まります
 
神経症について
    電車やバスに乗ると心臓がドキドキしてくる。緊張して人前で手が振るえ、名前や字が書けない。出かける時に、ガス栓を締めたか戸締りはしたかと、何度も確かめないと気が済まない。何となく不安で、落ち着きがなくなる。悩み事や心配事が頭から離れず、中々寝付けない。頭痛やめまいがしたり胃腸の調子が悪いので内科などで調べてもらっても、どこも悪いところはないと言われる。こんな経験はありませんか。
  神経症は、漠然とした不安を背景に、動悸や頭痛・胃腸症状などの身体症状が出たり、ある考えや不安・心配が頭から離れなかったりする状態です。不安のない人はいないのですから、私達みんなが神経症だとも言えますが、こうした状態が続き生活に支障が出てくると治療が必要になります。神経症の治療は、薬(精神安定剤)による不安やイライラの軽減が第一です。薬を飲むことにより不安が軽減すれば、そう問題なく生活できる人が大勢います。もし薬だけでは改善しない場合には、精神療法(一般にはカウンセリングと言いますが)を行います。不安は人との関係の中で生じるものですから、精神療法においては自分と自分を取り巻くさまざまな人との関係を考えて行きます。
  神経症の身体症状は、痛みなどの症状はあるものの、身体的には問題がない場合が殆どです。例えば、胃が痛くて胃カメラをやっても、何も見つからないことが殆どです。一方、ストレスでお腹が痛い場合に、胃カメラで実際に胃潰瘍や十二指腸潰瘍が見つかる場合があります。このように、実際に身体(あるいは臓器)に病変があり、その原因に精神的な問題が関与している時、あるいは治療に精神科のかかわりを必要とする場合を心身症と言います。
 
人格障害
    人格障害というと、何か人格を否定するような、あるいは自分達とは違った人であるような印象を与えると思います。これは病名の付け方の問題と考えた方がよいと思います。人間の心理的な発達過程を考えた場合、人格障害は神経症の一歩手前に位置づけられます。
「三つ子の魂百まで」と言いますが、これは三歳頃に人格の基礎、おおよその骨格が形成されるのだということを言っているのです。三歳以下の幼児で次のような行動がしばしば見られます。例えば、スーパーでお菓子が欲しくて周りの人を気にせず駄々をこね、泣き叫ぶ。また、それまで元気よく遊んでいたのに、お母さんの姿が見えないと急に泣き出すなどです。
人格障害と名づけられる状態では、自分の衝動(上の例では、お菓子が欲しいこと)を抑えることができなかったり、安心できる人が目の前にいないと急に不安になったり(これを見捨てられ不安といいます)します。衝動のコントロールが上手くできないこと、常に見捨てられるのではないかという不安を感じていること、感情の浮き沈みが激しいことなどが特徴です。そして耐えられない不安からすぐ死にたくなったり、リストカットなどさまざまな行動化を起こします。これは人格の障害と呼ぶよりは、いまだ人格の骨格ができていない、人格形成の途上(むしろ入り口)にある状態です。
ですから、治療においては、まず治療の場が安心できる居場所となり、治療者が見捨てることのない安心できる人となることが求められます。こうした治療環境の中でじっくりと時間をかけて、安心感を土台に治療者と共に人格の骨格を築いていくのが治療です。もちろん、不安や不眠などに薬を用いることもしばしばです。
 
統合失調症
    一般的には、幻覚や妄想を訴える状態をいいますが、専門的にはかなり難しい判断が必要となります。幻覚や妄想があれば統合失調症かというと必ずしもそうではなく、かつて言われたような「不治の病」でもありません。早期発見ときちんとした初期治療を行えば、たとえ服薬が必要だとしても、仕事をし結婚して子供を育て、いわゆる普通の生活を送る人は大勢います。ここでは、統合失調症の説明はこれくらいにしておきますが、似たような症状を現す病気に、心因反応・一過性急性精神病や非定型精神病などがあります
  治療は薬が中心といわれています。急性の精神病状態は薬だけでも治まることが多いのですが、統合失調症の治療でもやはり安心できる治療の場と、治療者に対する安心感が必要不可欠になります。
 
認知症
    いわゆる痴呆性疾患です。大きく分けると、脳血管性のものとアルツハイマー性のものがあります。いずれも認知機能が低下した状態をいいます。つまり病的な物忘れや自分が何者か、ここはどこか、今はいつなのかなどの認知ができなくなります。そして簡単な物事の判断や計算ができなくなり、異常な言動(徘徊や妄想など)をするようになります。不眠となり、自分で排泄の処理ができなくなったりします。他人の援助や介護なくしては日常生活ができない状態となります。進行にブレーキをかける薬もありますが、何よりも本人ができるだけ快適な生活ができ、介護する家族に大きな負担が掛からないよう、介護保険制度などを活用し、認知症を持ったままどういう生活をすべきなのかを治療者と共に考えることが不可欠です。残念ながら、現時点では、これが最良の治療的な関わりだと思います。
 
その他
    上に挙げた疾患のほか、精神科で相談にのれる病気や状態・問題には次のようなものがありますてんかん、登校拒否、睡眠障害、自閉症などの児童の問題、摂食障害です。また正式な(?)病名ではないにしても出社拒否、引きこもりや親子・夫婦の問題など家庭の問題、学校や職場のメンタルヘルスなどです。もちろん精神科はいわゆる人生相談の場ではありません。しかし、少しでも精神の健康を保ち、安心感を持って穏やかに過ごすために、精神科的な関わりが役立つ分野は沢山あります。
 
薬について
    最後に薬について簡単に説明します。まず大切なのは、「この薬で少しでも楽になるのだ」という気持ちを持って飲んで欲しいということです。薬にはプラセボ効果というのがあります。「うどん粉でも効くと思えば効く」のです。新しい薬が承認されるまでには、臨床実験が行われます。その際、一方は新しい薬、他方は外見は薬と同じでも実際には薬としての効果のない物(これをプラセボといいます)を使い、両者を比較して薬の効果を判定します。この時、プラセボでよくなる人もかなりの数に上ります。もちろん治療においては本当の薬を処方するのですが、「こんな薬でよくなるのかなあ」と思って飲んでは効果も薄れるものです。薬に不信感を持っていると、副作用が出ることも多くなります。「薬と喧嘩をしない」ことが大切です。これには治療者の責任もあります。治療者が患者さんの陥っている状態や病状をきちんと説明し、治療に関しあるいは薬の副作用などについてきちんと納得の行く説明をしなければ、患者さんが薬をあるいは治療を信じるわけはありません。
  次に、薬は自己の判断で加減しないことです。薬の評価をするには、精神科の薬の場合最低一週間、時には二週間から一ヶ月掛かることが間々あります。副作用やそれと思われる変化が現れた場合には、すぐ電話で相談して下さい。処方通りきちんと飲まなければ、本当の薬の効果は評価できません。きちんと効果を評価した上でしか、より適切な別の種類の薬に変更するとか投与量の調節はできません。
 
 最後に、症状が改善し状態がよくなった時の注意です。薬を毎日まいにちきちんと飲むことは、思った以上に簡単なことではありません。少しでもよくなると、すぐに飲むのを忘れてしまいます。治療においてはまず、薬を飲んでいればそれほど問題なくやれる状態になることを目指します。それが達成できたなら、その状態が暫く(1ヶ月ないし2ヶ月ほど)続くことを確かめます。その後徐々に薬を減らして行き、ごく少量になったところで治療を終結します。飛行機は着陸する時に徐々に高度を下げます。急激に高度を下げれば、着陸に失敗し事故を起こします。薬の減量も同じ理屈です。きちんと服薬し、初期治療できちんと治めましょう。これが再発したり、慢性化しないための条件です。このようにすれば、典型的なうつ病では早くて半年、長くても一年ほどで治療が終結します。
 
 精神療法、大まかにいえばカウンセリングについては、「その二」で説明したいと思います。

病気と治療のお話し その二
はじめに
   精神医学の教科書には、症状の説明や一つひとつの病気の解説がおもに書いてあります。一方、看護者や福祉関係の人が勉強する精神保健の教科書では、まず人間の心理的な発達過程、家庭や学校、職場におけるさまざまな問題が取り上げられます。さらに心理発達の各段階の問題、つまり乳幼児期の発達の問題、思春期・青年期、そしていわゆる成人から老年期における、心理的なあるいは発達上のさまざまな課題や問題を学びます。精神保健の教科書では、いわゆる精神科の病気はページ数にすると10分の1以下しか取り上げられていません。つまり「心の健康」を保つには、単に病気だけではなく、精神保健にかかわるさまざまな課題や問題にも目を向けなければならないということです。

  私たち人間にはまず、肉体的なカラダを持った、自然な動物としての在りようがあります。一方で、人と人の関係や人が創り上げた、自然とは違う社会に暮らす、社会的な在りようもあります。私たちはこの二つの在りようを同時に生きています。精神医学は、その丁度中間、二つの在りようにまたがる部分を扱います。例えば治療を考えてみても、精神科の治療では薬やリハビリという治療手段もありますが、一方では精神療法(大雑把にいえばカウンセリング)が不可欠です。純粋に薬だけで治療できる状態はほとんどありません。それと同様に精神療法が治療の中心である場合でも、ほんの少量の薬でかなり楽になることも多いのです。

  よく「こころの病」と言いますが、精神科で治療の対象となる状態は、こころとカラダの中間、あるいは「こころとカラダのアンバランス」であると言い換えたほうがいいかも知れません。それは、自然な存在としての人間と、社会的な(自然ではない)存在としての人間の二つの在りようのアンバランスです。毎日のハードワークに疲れカラダは休みたいと思っていても、会社では仕事が山積みで休むわけにはいかない、あるいは他の人に迷惑が掛かるからと無理をして出勤している内に、うつ状態からうつ病になってしまうというようなことが容易に起こります。一方で動物は、例えばライオンもお腹を空かせてなければ、目の前にいる獲物も無視しています。今のうちに捕らえて、次の空腹時まで取っておこうとはしません。これが自然に即した、カラダとこころのバランスの好例です。

  私は長年精神科治療に関わってきて、以下のように感じ、考えるようになりました。一つは上に述べた、こころとカラダのアンバランスです。つまり「精神科を訪れる人は多くが、頭だけで生きている人である」、あるいはそのように生きるしかなくなっている人だということです。次に、「精神科の対象となる病気や患者さんの状態は、すべて不安の問題である」ということです。不安と恐怖を正確に説明するのは中々難しいことなのですが、問題を考えてゆくと必ずそこには(恐怖も含めた)不安があります。いま現実に悩んでいること、辛く苦しいこと、困っていることのもとには何らかの不安があります。そして不安は別の不安を呼び、ますます不安を増大させてゆきます。こうした不安に気づくため、そしてその不安を少しでも軽くするために、時には薬の力も借りながら治療者と共に語り合い考えてゆく場が治療だと思います。治療の場は、安心を感じられる場でなければなりません。もちろん、生きている以上、不安がなくなることはありません。また、不安のない人もいません。誰もが何らかの不安を持ちながら生きているのです。それなりにこころやカラダがバランスよく働き、それなりに社会で他の人々と生活できる範囲に不安が治まればよいのだと思います。

  では、精神科の対象となるいろんな病気や状態には、どんな不安があるのでしょうか。数年前までは、精神分裂病と呼ばれてきた統合失調症の人の持つ不安は、ちょっと難しい表現になりますが、「存在論的な不安」です。平たく言えば、「自分はこの世界に受け入れられているのだろうか」という不安です。人との基本的な安心感が揺らいでいる人たちです。ここ十数年増えてきている人格障害と呼ばれる疾患では、「自分は人に見捨てられるのではないか」という不安といえます。また、神経症では「人に嫌われる(嫌われている)のではないか」、「失敗するんじゃないか、馬鹿にされたり、笑われたりするのではないか」、「注意されたり怒られるのではないか」などの不安だと思います。ちょっと想像してみれば分かりますが、こうした不安は誰もが時には感じるものです。神経症の不安などは、ある意味では不安にならない方がおかしいのです。これらは普通に生活している人が普通に持っている不安です。そうすると、いわゆる普通の人はみんな神経症だともいえます。こういう不安を持ちながらも、みんな何とか大きな問題なく生活できているだけなのです。

  ここで、「うつ病の不安はどんなもの?」と疑問を持つ方もおられるでしょう。私はうつ病(躁うつ病も含む)は、どちらかというとカラダの病気に近いものだと考えています。うつ病とうつ状態は異なるものです。もちろんうつ病にはうつ状態が付きものですが、うつ状態はいろんな病気でも現れます。また、例えば大切な人が亡くなった場合のように、自然な当たり前の反応としてもみられるものです。うつ病では何らかのカラダの障害・問題(現在では脳内の伝達物質の問題と考えられています)があり、それが社会生活や対人関係に影響を及ぼし、結果的にさまざまな不安が生じるのだと思います。だからこそ、典型的なうつ病には薬がよく効くのです。一方、不安がうつ状態の一因となる度合いが大きければ大きいほど、薬だけの治療では改善しないものです。うつ病や躁うつ病では、先に上げた他の病気にみられるさまざまな不安が生じます。

  私たちはみんな、精神的な病気になる可能性があります。また病気と診断されないまでも、いろんなストレスや対人関係上の問題、不安を抱えています。そしてどの年代の人でも、その年代(これをライフサイクルといいます)に特有の課題や問題があります。一人で悩むことなく、また解決方法がないと考えて悲観的になる前に、あるいは病的な状態に陥る前に、精神疾患やそれを引き起こす不安の専門家に相談してください。一緒に悩み事をみつめ、共に協力して語り合いながら不安を軽減し、少しでも楽になって、こころとカラダにゆとりと余裕を感じられるようになることを目指しましょう。治療の場が安心できる場になり、治療者が訪れる人にとって安心できる人になることができれば幸いです。
 
躁うつ病圏の病気について
   最初にうつ病について考えましょう。うつ病は原因不明の病気とされています。厚生労働省の統計では、1996年に44万人だったうつ病患者数は、2002年には71万人に急増しているようです。ご存知のように、特に中高年の男性の自殺が急激に増えています。こうした自殺の背景には、うつ病あるいはうつ状態があるといわれています。うつ病とはどんな病気で、うつ病にならないためにはどうすればいいのか、うつ病の治療はどのように行うのかについて、以下にお話ししましょう。

  「はじめに」でも紹介しましたが、私はうつ病は基本的にはカラダの病気に近いと考えています。いろんなストレスにより、脳内の神経伝達物質の働きに異常が生じ、その結果こころにもカラダにも抑制がかかります。ここで注意して欲しいのは、ストレスというのは、「負荷あるいは過重」のことです。例えば車とぶつかれば骨折したりしますが、骨を折るような力もストレスなのです。何も心理的な負荷だけがストレスではありません。毎日まいにち長時間仕事を続け、家に帰っても充分眠ることができないとしたら、脳をはじめとしたカラダにストレスがかかります。もちろん、「今日もまた忙しい。日曜日も出勤だ。たくさん仕事が残って上司に怒られる。みんな頑張っているのに、申し訳ない」などと、心理的なストレスも加わってきます。この時、カラダは休みたいと感じているのでしょうが、社会的な規律や枠組み・秩序を重んじる脳は、「頑張って仕事をこなせ」と命令します。そして、社会的な動物である人間は、こういう脳の命令に従ってしまいます。また、これが「頭だけで生きている」という状態といえます。こうした状況にどのように対処するかが大切です。さまざまなストレスと、ストレスに対する対処の仕方によっては、うつ状態やうつ病に陥ることがあるのです。

  うつ病の研究には、性格論というものがあります。簡単にいえば、うつ病になりやすい人の性格(病前性格)を研究したものです。それによると、うつ病になりやすい人の性格は、努力型、責任感が強い、きちょうめん、律儀といわれる人です。また、秩序を好み、良心的で、努力を怠らない。頼まれれば断ることができず、しょいこんでしまう。自分のことより他人のことが先になりがちな人です。このような性格は、社会では好ましいとされていますが、一方ではうつ病になりやすいといわれています。こういう人は、先にあげた脳の「頑張って仕事をこなせ」という命令に逆らえなくなります。そして無理に無理を重ねていくのです。長所は裏返せば短所にもなるものです。几帳面で律儀な人は、一方では融通や機転がきかない傾向も持っています。しょいこむのは人を信用して仕事を任せられないことでもあり、断れないのでしぶしぶやる羽目になり疲れてしまいます。コツコツとやり成果はあげるけれど、変化に弱い。完全癖のためにいつも焦り、のんびりできない。社会的な役割を重視するあまり、情感や細やかさに欠けるところがみられる。争いごとを避けてばかりいると、他人に対する怒りや葛藤などが知らずしらずの内にたまってゆくのです。こうした性格傾向が、不安やうつ病を誘発する要因にもなり得ます。

  うつ病の発症のきっかけは誘因と呼ばれています。誘因には大きく分けると二つのことがあげられます。一つは秩序の変化です。うつ病になりやすい人は、変化に弱いのです。責任が増えたり、新しい課題を与えられたときや、生活や仕事の環境・状況が変化するときに生じやすいのです。例えば、昇進や栄転をきっかけにしてうつ病になることもあります。この場合、人に認められたという喜びと同時に、責任や仕事量の増加、対人関係の困難さ、決断力を求められるなどの負担が増大します。これまでは言われたことをコツコツとこなし有能だと認められてきた人が、自分の役割が変化したことについていけなくなるのです。もう一つは、喪失体験といわれるものです。自分にとって大切な人、大切なことや物、あるいは状況・状態を失うことです。親や兄弟、あるいは親友・恋人など愛する人を亡くしたときなどが典型です。これは自然な、当然の反応ともいえます。この時人は悲哀を感じ、うつ状態となります。多くの場合、人は大切な人が亡くなったという現実を次第に受け容れてゆくものですが、ときにはうつ病になることもあります。また、何らかの病気になる、あるいは大怪我をするということは、健康な自分を失うことだといえます。当然ともいえますが、病気になった人はそれだけで軽いうつ状態になっているものです。

  次に、うつ病ではどんな症状がみられるのでしょうか。まず、精神活動とカラダにおける「抑制」の症状があります。普段は簡単にできていたことができなくなり、口数も少なくなる。何をするのもおっくうとなり、意欲がわかなくなる。自分がつまらない人間に思えてくる。決断できず、あれこれと迷うようになるなどがよくみられます。また身体症状もでてきます。食べてもおいしくないし、食欲がなくなり体重も減少する。口が渇いたり、便秘になる。特に後頭部から肩にかけて、押さえつけられるような痛みがでます(これを筋緊張性頭痛といいます)。こうした自律神経症状が多く出現します。また、いつもと同じことをしても疲れやすいとか、倦怠感、体や頭が重いといった症状も加わります。こうした精神症状や身体症状の特徴は、寝起きから午前中にかけて悪く、夕方から夜にかけて軽くなる(これを日内変動といいます)ことです。次に気分の障害があげられます。憂うつな気分、いらいら、不安などに加え、みんなに申し訳ないという思い(罪責感)や、自分は何もできない駄目な人間だと思い込むこともあります。しかしうつ状態の特徴は、単に「悲しい」とか「落ち込んでいる」のではなく、「悲しむことすらできない」、「喜怒哀楽がわいてこない」というものです。大切な人が亡くなったとき、涙を流し本当に悲しむことができるなら、その人はうつ病になることなどなく、正常な抑うつ反応を示したのち現実を受け容れてゆくことでしょう。先に述べたような症状が、過去を後悔し物事を悪い方悪い方へと悲観的に考えてゆく傾向とあいまって、死んだ方が楽だという自殺念慮(希死念慮ともいいます)につながります。また、ほとんどのうつ病でみられるのが不眠です。うつ病の不眠の特徴は、寝つきが悪い(入眠困難)ことはあまりなく、途中で目が覚める(中途覚醒)ことやいつもより朝早く目が覚める(早朝覚醒)ことが多いことです。ときには、眠り過ぎるうつ病の患者さんもいます。

  さて、うつ病の治療です。うつ病の治療で一番大切なことは、心身ともに休息を取ることです。仕事や家事を休んだり、誰かに任せることです。そのためには、家族や職場の人たちに、本人が安心して休める環境や状況づくりに協力してもらうことが大切です。うつ病は本人にとっては非常に辛い体験ですが、周囲の人たちにはそれほど重くはみえず、怠けや気の緩み、弱さと受け取られることがよくあります。従って、周囲の人たち、取り分け家族の理解が不可欠となります。また、休息のコツには三つあると、私は常に患者さんに伝えています。まず、何もせず休んでいることが必要なのですが、もし楽しいこと、楽しめることがあるならやってもよいということです。ただし、疲れない程度で切り上げ、楽しくなくなったらすぐにやめることを約束してもらいます。楽しいことは精神的なエネルギーを高めるからです。しかしうつ病では普通楽しめることはないので、その時々で一番楽なことをすることが二番目です。一日中寝ていたければ、一日中寝ておればよいのです。数日ゴロゴロしていたとしても、トイレには自分で行くでしょうし、家の中で少しは動いているものです。体がなまったりはしません。外出も、自分が行きたいと思わない限り控える方がよいでしょう。自分が望まなければ、周囲の人の「気分転換のための誘い」も断る方がいいでしょう。無理に散歩することもやめましょう。「規則正しい生活をしなければ」と言う人は多いのですが、規則正しい生活ができるようになるのはかなり回復してからのことです。まずは「怠け者」と見られるような生活をすることが大切なのです。最後に、嫌なことはなるべくしないことです。嫌なことはエネルギーを浪費します。嫌なことをすると、こころもカラダも疲れるからです。

  治療で次に大切なのは、薬を飲むことです。うつ病はこころとカラダの中間の病気です。抗うつ剤がよく効きます。しかし薬だけではよくなりません。心身の休養と薬の相乗効果でよくなることを忘れてはいけません。抗うつ剤には多くの種類がありますが、服用後一〜二週間で効果がでます。ときには一ヶ月くらいして効いてくることもあります。焦らず三ヶ月をめどにして、ゆっくり療養することが大切だと思います。仕事と時間に追われながらも、一生懸命頑張ってきた自分へのご褒美として、三ヶ月くらい自分を休ませてあげるつもりでいてください。もうひとつ大切なことを覚えておいてください。それはよくなったからといって、すぐ治療をやめないことです。元気な元の自分に戻ってから、ゆっくりと仕事量を増やしたり、薬を減らしてゆくことが大切です。かなり順調に経過しても、治療を始めてから治療の終了まで、半年から一年くらいはかかるものです。これを忘れないで欲しいと思います。うつ病が長引く(慢性化)要因には、早過ぎる薬の減量や中止、早過ぎる仕事への復帰、頻繁な処方変更などがあげられます。治療者も患者さんと同じように焦ることがありますが、もうひとつの治療の柱である精神療法(カウンセリング、つまり治療者と患者さんが一緒に問題を考えてゆくこと)の中で、これまでの自分や自分の生き方などを考え、ゆっくりともう少し楽な生き方がないかを一緒に見つけていきたいと思います。

  最後に躁状態について簡単に述べましょう。躁状態とは、特にきっかけがなくても爽快で、明るく陽気な気分になることをいいます。そして何でもやれそうな気になったり、極端にお喋りとなり、じっとしておれなくなります。また怒りっぽくなる人や、浪費をする人もあります。自分ではハイテンションになっていることに気づかず、家族や友人などの意見も聞かなくなることがよくあります。逸脱行為や誇大妄想が出現し、そのため入院治療が必要となることも多々あります。うつ状態と躁状態を繰り返すのが躁うつ病です。春先や秋の始まりの頃に調子が悪くなる人が多いようですが、その人に特有の季節変動が見られます。躁状態を伴う場合、その人の性格傾向には、うつ病の性格である几帳面さや熱中性・執着性に加え、朗らかで世話好き、社交的・外向的であることなどが加わっています。治療は薬物療法が基本となりますが、感情の波を調節する薬剤や精神安定剤・睡眠薬が主に使われています。薬をきちんと飲まない限り治まらないことが多いことを、しっかりと理解することが大切です。

病気と治療のお話し その二 続き
神経症圏の病気について
神経症圏の病気には、神経症、心身症、人格障害があります。
 
  (1) 神経症について
  神経症は、不安がさまざまな形で現れる状態をいいます。神経症の不安は、「はじめに」でもお話ししましたが、「人に嫌われる(嫌われている)のではないか」、「失敗するんじゃないか、馬鹿にされたり、笑われたりするのではないか」、「注意されたり怒られるのではないか」などの不安です。こうした不安がそのまま強まって症状として現れる場合や、身体症状あるいは他の不安や精神症状に形を変えて出現します。こうした状態が生活に影響を与え、これまでのような生活が送れなくなった状態を神経症と呼びます。

  代表的な神経症は、不安神経症、強迫神経症とヒステリーです。
まず不安神経症(パニック障害とも呼ばれています)です。おもな症状は、乗り物に乗っている時や、緊張することが予想される場面で不安感が強くなったり、突然に動悸がしたり、息苦しくなって過呼吸発作を起こしたり、胸痛やめまいなどが現れます。どうしてよいか分からなくなり混乱状態(パニック)に陥ることもあります。
次に強迫神経症(強迫性障害とも呼ばれています)です。症状には、戸締りやガス栓など何回確認しても安心できず、また確かめずにはいられなかったり(確認強迫)、長時間手を洗ってもまだ汚れていると感じ、いつまでたっても手洗いを止められない(洗浄強迫、あるいは不潔恐怖症)、あるいは、自分では考えたくないのにある考えが繰り返し浮かんできて、それを打ち消すことができなくなる(強迫観念)などがあります。

  最後はヒステリーです。ヒステリーには転換型(身体表現性障害とも呼ばれています)と解離型(解離性障害とも呼ばれています)があります。転換型は不安が身体症状に転換するもので、立てなくなったり声が出なくなったり、けいれん発作を起こしたり、どこも悪くないのに痛みやしびれなどの知覚に異常を生じることがあります。解離型は記憶喪失やもうろう状態に陥ったり、幼児のように甘えた舌足らずの話し方になったり、質問にわざとでたらめに答えるようになることがあります。一般にいうヒステリーと、精神医学でいうそれとは全く違うものだということに注意してください。

  その他の神経症には、まず恐怖症があります。これは大枠では強迫神経症に分類されています。上でも述べた不潔恐怖症、対人恐怖症(人と一緒に過ごす場面での緊張からくる)、広場恐怖(不安を感じる場所や状況を避けるようになる)、醜形恐怖(自分の体や顔に独特の醜さがあるため、人から馬鹿にされ軽蔑されるのではないかという恐怖)、自己臭恐怖(自分の体から独特の嫌なにおいが出て、そのために人から避けられるのではないかという恐怖)や疾病恐怖、会食恐怖などさまざまなものがあります。そのほか心気神経症(心身のささいな不調にこだわって、重大な病気ではないかと恐れ不安になる)、離人神経症(自分や周囲が変わってしまったという独特な感じや、周囲のできごとが現実ではないような感じを受ける)などがあります。

  神経症の治療では、主に精神安定剤(抗不安薬)による薬物療法と精神療法(カウンセリング)が行われます
 
  (2) 心身症について
  うつ病の中に「仮面うつ病」と呼ばれるうつ病があります。これは頭痛や胃腸症状をはじめとした身体症状が全面に出て、気分や意欲の障害が後ろに隠されているうつ病です。また神経症でもさまざまな身体症状が出現します。しかし仮面うつ病でも神経症でも、基本的には身体的な問題は見つかりません。内科などでいくら検査をしても、「特に問題はありませんが、症状があるので薬を出しましょう」と言われます。

  これに反して、胃潰瘍や十二指腸潰瘍、あるいは喘息やアレルギー性疾患、過敏性大腸など、さらには高血圧の大半(本態性高血圧と呼ばれる原因不明のもの)など、実際に身体的な異常があるものの、治療において心理的な問題を無視できない場合を心身症といいます。原因に関しても心理的なストレスの関与が指摘されています。
   
  (3) 人格障害について
  「その一」でも述べましたが、人格障害という病名は大いに誤解を与えるものだと思います。そこで、人格障害と呼ばれる病態を分かって頂くために、人間の心理的な発達過程を簡単に説明します。

  生まれたばかりの赤ちゃんは無力で、他人の世話を受けなければ生きて行くことができません。ここで世話をする人(養育者。一般的には母親)が適度に赤ちゃんの欲求を満たしてあげると、養育者(母親)との間に「基本的信頼感」が作られます。これが安心感の一番最初の基礎となります。「基本的信頼感」が得られた赤ちゃんは、生命を維持する「食」を満たされ、排泄などの不快感を和らげられ、安心と満足の中で成長します。さらに脳の発達に従い、次第に母親と他の人との区別がつくようになります。また、歩行も可能となり、自分の力で移動することができるようになります。

それまでは母親と一体で、自分と母親の区別もつかず母親から離れることができなかったのですが、次第に母親から離れ「自分」として独立する段階に入ります。これを「分離固体化」の時期といいます。大体一歳半から三歳頃です。例えば、他の子供が遊んでいる時その子と遊ぶのに幼児が母親の所を離れます。幼児は何度も振り返って、母親がいることを確認しながらその子に近づいていきます。遊んでいる時に母親の姿が見えなくなると、幼児は極度の不安に襲われ泣き叫びます。こういう光景を見たことのある人は多いと思います。母親の姿が見えなくて泣き叫ぶ幼児の不安を、「見捨てられ不安」といいます。安心の基である母親から見捨てられるのではないかという不安です。

  この不安に襲われると、自分をコントロールできなくなります。しかし母親の姿が見えると、すぐに幼児は笑顔に戻ります。こうした体験を重ね、次第に幼児は目の前に母親がいなくとも「安心の基である母親」を内在化します。つまり、自分を見捨てない安心の基を心の中に見出すのです。そうすることによって安心して母親から離れることができ、それと同時に安定した「自分」ができ上がるのです。これが安心感の第二の基礎であり、最初の自立といえます。

  「見捨てられ不安」は誰もが少なからず感じる不安です。しかしこの不安に翻弄されると、「自分」が不安定となり気分がコロコロと変わったりします。一寸したことで落ち込んで死にたくなったり、一寸した一言で急に怒ったり逆に塞いでいた気分が晴れたりします。どうしようもない孤独感にさいなまれたり、自分がなくなるような恐怖感や辛さから逃れるために薬物に走ったり、行動化(自殺未遂やリストカットなど)を起こします。このような状態に陥っている場合を、人格障害と名づけています。

  従って、人格障害の治療では、患者さんが「決して見捨てることのない安心できる人間関係」を治療の中で体験し、安心感に支えられて最初の自立ができることを目指します。ケースによっては、家族も治療の輪の中に入ってもらう必要があります。

病気と治療のお話し その二 続き
統合失調症圏の病気について
  統合失調症に関してはさまざまな学説があります。現在のところ、「統合失調症とは何か」に明確に答えることはできません。まず知って頂きたいことは、これまでよく言われた、「遺伝する」、「統合失調症の患者さんは怖い」とか「不治の病である」というような偏見です。統合失調症は、例えば色盲のような遺伝疾患ではありません。またよく言われるように、精神障害者の犯罪率はそうでない人のそれを下回っています。そして、統合失調症も初期から適切な治療を受ければかなり回復し、社会生活を普通に送ることができるようになります。 神経症圏の病気には、神経症、心身症、人格障害があります

背景にはいろんな問題がありますが、これまでこのような偏見が生まれてきたのには、昭和30〜40年代からの精神障害者の隔離収容政策が最大の原因だと考えます。この時代に政府の金銭的あるいは制度的な補助を受け、精神病院は雨後の筍のように急増し、300床の病院に常勤医が2人というのが当たり前でした。これでは医療とは、病院とは言えません。まさに精神病者を精神病院に隔離収容していただけです。精神障害者の人権が見直され、治療中心にシフトしているとはいえ、現在でも医師一人当たりの入院患者数が50人を超える病院は数多くあります。現在の精神病院では入院患者の約8割が、統合失調症を中心とした退院の可能性の薄い患者さんで占められ、この方たちの平均年齢は60歳近くに達しています。こうした患者さんたちは、治療よりも隔離と収容を目的としたこれまでの精神医療政策の犠牲者と言えます。

  しかし近年、以前のように入院を余儀なくされるのではない、外来統合失調症と呼ばれる軽症の人が増えています。統合失調症の治療も、基本はこれまで述べた疾患と同じです。つまり安心できる治療関係と、治療の場で、服薬と休息を取ることによって回復することが可能です。「世界に受け入れられている」という、基本的信頼感を取り戻し、社会の中で安心して生きていけるようになります。

  最初に述べたように、統合失調症とは何かについてはいろんな考え方があります。この議論に入るとかなり専門的な話になりますので、ここでは簡単な経過を説明しながら、一般に受け入れられている統合失調症の病像を紹介するのに留めます。

  まず病初期には、「焦慮の時期」があります。これまでのゆとりがなくなり、何とはなしに焦ります。今の状態に居心地が悪くなり、自分の居場所がないような感じになります。自分の周囲で、あるいは世界で何かとてつもない変化が起こりそうで、ほんのわずかなことも気になり出します。そうこうする内に、小さなことが世界中の大問題であるように感じ、あらゆることが疑問になり、考え、あれこれと想像している内に次第に睡眠が取れなくなってきます。元気ややる気がなくなり、うつ状態のようになります。

  こういう状態が続くと、ある時「あっ、分かった。これはこういうことなのだ」と自分の回りで生じている事態を理解したと思い込んだり、この辛い事態を打開するために一念発起して行動を起こすようになります。これが統合失調症の顕在発症の典型です。「あっ、分かった」と妄想的な言動を生じることを妄想着想、「家の前を通る赤い車が自分をいつも監視している」などと現実に知覚した物事に妄想的な意味づけをすることを妄想知覚、「何か恐ろしいことが生じる」と予感し、不安と恐怖に包まれることを妄想気分といいます。また「自分に話し掛けてきたり、自分のしていることにコメントを言ったり、命令したり、人が話をしているような声が聞こえてくる」こと(幻聴)もよくあります。脈絡のない話を続けたり、妄想や幻覚を訴え興奮状態になることもあります。それとは逆に、じっと動かず、何を聞いても殆ど反応を示さないこともあります。もちろん、こうした外から見ていても一目で分かるような状態だけではなく、次のようなことで悩み苦しんでいる場合もあります。すなわち、「当たり前のことが分からない。自分は人とは違うのではないか。人には簡単にやれることが、自分にはできない」など、自分自身や他人、社会や世間、人間一般に関する疑問を考え続ける場合もあります。

  こうした時期を、急性期といいます。急性期になって初めて受診する人が殆どです。急性期には薬物の服用と、十分な睡眠、休息が必要ですが、時には入院治療を必要となります。急性期が治まる頃に、いろいろな身体症状が出たり、それまで出なかった薬の副作用が出たりすることがあります。この状態を臨界期といいます。身体が変化する時期に当たります。それまでの不安や恐怖と戦う戦闘態勢(こういう時は交感神経が優位な状態)から、戦いが終わった後の静かなゆっくりと休息を取る態勢(こういう時は副交感神経が優位な状態)に変化するのです。幻覚や妄想は背後に退き、十分な睡眠が取れ、頭も身体をゆっくりと休める時期に入ります。

  これが寛解期です。この時期に、赤ちゃんが母親に抱かれて安心感を感じるように、治療の場で安心を感じゆったりと休息を取ることが不可欠です。見た目にはうつ状態で、何もやる気がしなかったり、疲れやすかったり、ちょっとしたことで不安になったり、焦りも出ます。孤独感を強く感じ自殺念慮が出ることもあります。一日の半分以上睡眠を取り、とにかく質のよい休息を取ることが第一です。そして十分な休息が取れれば、少しずつうつ状態から脱出するようになります。少し元気が出てからも、焦らずゆったりと過ごすことが大切です。この時期になると、本人だけでなく家族も焦り始めます。「早くアルバイトがしたい。働きたい。デイケアや作業所に通わせたい」と訴えるようになります。何かをやることが、何かをやれることが、病気がよくなったことだと思う人が多いようです。しかしこれは十分注意する必要がある、落とし穴です。本当に無理なく、自発的に動くことができるようになるには、十分な時間を要します。これは、統合失調症の治療においてだけではなく、あらゆる治療に言えることだと思います。ゆとりと余裕が何よりも大切なのです。
 
精神療法について
  最後に、薬物と並び治療のもうひとつの柱である精神療法についてお話します。一般的にはカウンセリングと言っています。「カウンセリングを受けたい」とか、「カウンセリングを受けたらどうか、と言われた」と来院される方もあります。しかしカウンセリングとはどういうものなのか、中々説明がし難いものです。実際にやっていく過程で、何となく「こういうものなのだ」と納得していくようなものです。

  精神療法にもいろいろな方法があります。例えば、洞察を目指す精神分析的精神療法(精神分析)や交流分析。説得、再保証、励まし、助言などをすることによって適応を容易にさせるような支持的精神療法。心の底にある不満や憎しみ、口惜しさなどを治療場面で語り発散させる方法。条件付けにより実際の体験をやり直させることにより適応性をつける方法(森田療法や行動療法)などがあります。

  最初にも述べましたが、精神科の扱う病気の基には不安の問題があります。そして不安は対人関係の所産として生み出されるものです。また精神疾患の治療の柱は、薬物と精神療法ですが、100%薬だけで良くなる病気は殆どありません。てんかんの患者さんでも、病気や治療の説明、生活の指導などが必要です。これは一般科の診察と同じですが、これも立派な精神療法です。本当に優秀な外科医は、メスの扱いだけではなくこのような精神療法が旨いものです。病気であるという不安な状態を軽減し、病気を持ちながらも生活ができたり、あるいは病気がいずれは治るという希望や安心感をいかにして与えるのかも精神療法の結果如何です。

  さて、精神科で行う精神療法ですが、上に挙げた幾つかの方法を使い分けたり、組み合わせたりします。病気の基には、各々の病気によって質は違いますが不安が横たわり、それが症状をもたらしています。そこで如何にすれば不安が軽減されるのかを考えていくわけですが、薬、休息、精神療法をどのように組み合わせるかをまず考えます。それが病気の見立てと治療の見立てです。この時に必要なのは、診断技術と治療の見通しつまり治療戦略をどのように立てるかです。どの患者さんにも、どんな病態にも洞察的な精神分析を選択するわけではありません。

  例えば精神分析的な精神療法は、一般的には神経症レベルの患者さんが適応とされていますが、神経症の患者さんの多くは少量の精神安定剤を飲むことで良くなります。また、初診時にこれまでの経過を語り症状や生活のあるいは家族の状況などを語る中で、自然にカタルシス(発散、不安などからの解放)が生じることもあります。単純に、「人には言えないようなことを十分聞いてもらって、楽になった」という患者さんは沢山みえます。人知れず悩んでいたことを話できる場ができたことだけで、あるいはそういう悩みや苦しみに耳を傾けてくれる人ができただけで、再び安心感を取り戻す患者さんは多いのです。さらに、ちょっとした助言や行動の指針などをアドバイスしたり、知らず知らずの内に捉われている行動や思考のパターンを指摘することで、自らの現状を客観的に理解しパターンを変え楽に現実適応ができる場合もあります。

  しかし時には精神分析的な精神療法を選択するしかない場合も出てきます。症状をもたらす不安そのものに迫らないと、症状が軽減しない場合があります。では、精神分析的な精神療法とはどんなものなのでしょうか。

  人は生まれてからいろんな体験をします。一つ一つの体験において、あるいは不安になったり、不満や不快を感じたり、葛藤に悩んだり、満たされない願望を抱いたりします。小さな子供ほど重い荷物が持てないのと同様に、小さな子供ほどこのような不安や不満、不快感や葛藤などを持つことができません。自分を保つことができないほど大きな不安などを体験した場合、その体験はなかったものとして処理され、心の奥深くに仕舞い込まれます。この心の奥底を、無意識と呼んでいるのですが、無意識には生まれてから今までの上に挙げた不安などが、「臭いものには蓋を」されて詰まっているのです。こうした不安や不満、不快感、葛藤などは、その時々の人との関係から生まれます。例えば、最近話題になる幼児虐待の場合、暴力を受けた幼児はその時感じた恐怖感や不安、不快感を「体験しなかったもの」として無意識に沈めてしまいます。そして暴力を振るった父親(あるいは母親)と、このような恐怖感などとを結びつけることはありません。

  こうした不安などが、何年も先に(時には40年、50年後に)何らかのきっかけで押さえていた蓋を押しのけて意識に出てこようとします。意識は(無意識的に?)何とか蓋が開かないように抵抗・防衛しようとします。ここで蓋を開けようとする圧力を弱めるために、さまざまな症状が出てきます。つまり症状は無意識に押し込められていた不安などが、姿形を変えて意識に出てきたものなのです。ちなみに、薬も蓋を開けようとする圧力を弱めるための、もう一つの有力な手段なのです。

  患者さんが苦しんでいるのは、意識につまり現実に出てきた症状です。この症状が薬を飲んでも治まらない時、現実の話をいくらしてもカタルシスも生ぜず、中々現実生活に適応できないならば、症状の基である不安などがどういうものなのか考えるしかありません。この作業が精神分析的精神療法です。そこでは、生まれてからのいろんな体験を思い出しながら、無意識に押し込め蓋をしてしまった不安などを意識化していくのです。そして、現在の苦しみや症状の基になったものに気付き、それを自分のものとして受け容れる時、症状や苦しみは軽減していくのです。

  一度や二度話をしただけで解決するわけではありません。また、治療者は患者さんの上のような不安などを知っているわけでもないし、何らかのアドバイスをすることもありません。不安などに患者さんが自ずから気付くために、患者さんと治療者が協力して行う作業であることを理解して下さい。精神療法では患者さんもそして治療者も、忍耐強く治療を進めていくことが要求されます。まず半年ほどやってみて、一度それまでの治療を評価しながら、今後のことを決めていくといいでしょう。

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